私の音楽院の卒論を投稿してからそろそろ一ヶ月になりますね。読んで頂いた皆様どうもありがとうございました。本当は投稿直後にあとがきを書こうと思っていたのですが、それからも色々と忙しくてここまで延び延びになってしまいました。今はようやく時間ができたので、論文にまつわる色々なことを書いていこうかと思います。
まずは完走した感想ですが、疲れました。ただただそれだけです。構想・執筆・推敲・翻訳を一ヶ月くらいで全部やったわけですが、その間は何をやっても論文のことが頭から離れませんでした。飯を食ってても、アニメを見てても、エッチなゲームをやってても、ふと「あれ、あそこの論理構造おかしくないか」とか「概念の例としてもっと適切なものが他にあるんじゃないか」とか、一旦考え出すと頭が止まらなくなってしまうので、それが大変でしたね。寝る時もあれこれ考え始めて頭が覚醒して寝られないなんてことが常態になっていました。
この論文を書くにあたっての僕の一番の目標は「逃げないこと」だったんです。これは確かに卒論用に向けて書いたものではありますが、目的は卒論をやり過ごすための文章を仕上げることではなくて、新しい概念を可能な限りわかりやすく明確に言語化して多くの人に読んでもらうことなので、「修辞だけで中身が伴っていない文章」では意味がないんですね。これだけ長い文章を書いていると、変に演出しようとしたり文章としての体裁の方を優先してしまう場面がついつい出てきてしまうものなんです。そういった本質に関係のない部分は全て切り捨てて、論理構造として不明瞭な部分が一切ないように仕上げた、つもりです。
それで論文のタイトルがAlgomuzeとなっているわけですが、これはまさにこのブログのドメインと同じなんですね。謎が一つ解けた感じですね。なのでこのブログを作った2019年には既に構想を持っていたということなんですが、いやそれどころではないんです。アイデアの原型は2013年頃には生まれていました。なぜそのアイデアが生まれたのか、それは次回の記事でその一端についてお話ししましょう。しかし当時はここまで明確に言語化も出来ずにいたので、友人なんかにこの話をしてもいまいちピンと来ない反応しか得られなかったんですね。なので10年ごしではありますが、とりあえず概念の言語化が出来たことについては非常に嬉しく思っています。
まあそれくらい僕の人生にとっても大きなテーマであり、今回こうして全身全霊で書き上げたものなので、正直これで満足してしまってる部分が大きいです。この論文は米作りで言うなら種籾を選別して田んぼの場所を用意した程度のものなので、まだスタートにすら立っていないとも言えるわけです。ここから土を耕して苗を植えてじっくり稲を育てるという実作業をしないと全然意味がないじゃないかというのはその通りなのですが、種を用意できただけでも十分立派じゃないかとも思っているのです。だって生きてる中で、ああ自分は少しでも人類の歴史に寄与できたなと思えることなんて、ありますか。たとえそれがまったくの幻想だったとしても、そういう思いを抱けるだけでも十分幸せじゃないですか。
そう、まさにこれは幻想かもしれないんです。僕はこの論文には一定の価値があると思っていますが、実際はまっっったくのゴミ同然、ケツを拭く紙にすらならない無価値なものかもしれません。というか普通に考えればそっちの可能性の方がずっと大きいんですが、これが「開拓者」としての生き方なんです。
芸術に限らず学問でも商売でも、誰も歩んでいない道を拓く、誰も掘っていない鉱脈を掘って生きるというのは、人生がゴミクズになる可能性があるという覚悟を持っていない限りやるべきではないんです。僕はもうそれをとっくに受け入れているし、この先に間違いなく進むべき道がある、掘るべき鉱脈があるという確信を持てただけでも、これ以上の幸せはありません。僕はもう一人の人間としての最低限の義務を果たした気分で一杯です。
というわけで、もういつ死んでも悔いはない無敵モードに入ってしまった僕がこれから先何をするのかという話なんですが、先日卒業コンサートも無事終わりまして、これで僕のフランス留学生活も終了となりました。まあいずれ日本には戻るんですが、それまでは時間があるので、今までいいだけ更新をサボっていた分、書きたいなと思っていることがいくつかあります。ざっと挙げると、
・論文提出後にアルと遊んだ話
・実は論文提出日に競馬場に行ってた話
・音ゲーの話
・『かぐや様』の話
・将棋の話
ぱっと思いつくだけでもこれぐらいあるので、まあ毎日更新は難しいかもしれませんが、2、3日に1本は記事を投稿できるように頑張りますので、よければお付き合いください。