一段落警察滅ぶべし

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9月も終わり、シリーズアニメが続々と最終話を迎えました。僕は『無職転生』をニコニコで見ていたのですが、最終話のCパートであるコメントが流れてきました。アニメ本編のセリフの流れは以下の通りです。

 

ルーデウス「私には、転移事件で失った家族を探すという使命があります。なので、今すぐアスラ王国に赴いてというのは……」
アリエル「ええ、私のことはそちらがひと段落してからで構いません」

 

 

現れました、一段落(いちだんらく)警察です。

まあこの作品に限らず、ニコニコでアニメを見ているときには、そうですねえ……3、4年前くらいから度々目にするようになりましたかね。今回はこれについての話題です。

 

私の結論から申し上げますと、「ひと段落は誤用でもなんでもないので、いち段落警察はとっとと滅ぶべし」

さらにエッジを利かせて言えば、「むしろひと段落の方が自然な読み方であり、いち段落にこだわってる人は日本語の感性に欠けるのでは?」というのが私の主張です。

 

まず、なぜ最近になってこの一段落警察が頻発するようになったのか。その答えはグーグルで検索すればすぐわかります。「一段落」で検索してトップに出てくるのがNHKが2019年に公開したこちらのページです。

「一段落」の読み方は。いちだんらく?ひとだんらく?

この中でNHKは、

NHKでは、現在、「いちだんらく」と読むことにしています。
一般には、「いちだんらく」のほかに「ひとだんらく」の読み方もありますが、「いちだんらく」のほうが伝統的な読み方であると考えて、このようにしています。

と回答しています。その後の詳細解説で、さまざまな辞書の説明を引用して、

このように、国語辞典には「ひとだんらく」は誤読などの判断をしているものが見られます。

と書かれてあります。まあ少なくともNHKが誤用だという判断は下していないことには注意が必要です。

 

さて、私が思う「ひと○○」の用法には2種類あると思っています。

(1) 区切りをつける、というニュアンス
「疲れたからここで一休みして山頂を目指そう」
「この瞬間に一呼吸置いてから次の動作に向かう」
「まだ先は長いけど、これでようやく一仕事終わったな」
(2) もう一つ加える、というニュアンス
「このデザインでも悪くないが、もう一工夫欲しいな」
「つらいだろうけど頑張れ、あと一踏ん張りだ」
「お疲れのところ悪いが、一仕事頼まれてくれないか」

 

ここで例に挙げた「一仕事」のように、どちらのニュアンスで使えるものもあれば、どちらとも言い難いものもあるかもしれませんが、基本的にはどちらかに分類できるものが多いでしょう。そして「ひと段落」は(1)のニュアンスに完璧に合致しています。したがって「一段落」は「ひと段落」と読むのが自然ということです。

 

さらに、助数詞・序数詞との使い分けという問題もあります。

文章における段落の数え方は「第1段落、第2段落」もしくは「1段落目、2段落目」です。後者の読み方は当然「いちだんらくめ、にだんらくめ」ですが、これを引っ張ってきて「段落を数えるときにはひと段落とは数えないだろ? だからいち段落が正解なんだよ」という意見を目にすることも多々ありますが、私に言わせれば「だからこそだよ」という話です。

まず最初に助数詞というのは外国人の日本語学習者が嫌がる定番の一つで、ものの数え方のことです。本は1冊、人間は1人(ひとり)、でも3人(さんにん)というやつですね。一方で序数詞というのは順番や序列を表すもので、まさに先程例に挙げた「1段落」「2段落」のようなものです。この場合、「段落」自体は助数詞で、「2段落目」は助数詞と序数詞を組み合わせたもの、となります。

冒頭の例、「そちらがひと段落してからで構いません」は、明らかに助数詞としての「段落」ではありません。したがって助数詞との使い分けを明示するためにも、「ひと段落」と読むのが自然ということです。

 

以上が「ひと段落」派の私の根拠です。先程私は「いち段落にこだわる人間は日本語の感性に欠ける」と申し上げましたが、これは別に「いち段落」を誤用と言っているわけではありません。「ひと段落を誤りである」とみなすのが愚かだと言っているのです。

なので、私の主張は「ひと段落こそが正義でいち段落が誤り」なのではなく、まさにこの記事のタイトル通り、「一段落警察は滅ぶべし」です。

「NHK様が言ってるから〜」とか、「辞書に書いてあるから〜」とか、そういう錦の御旗を掲げて大上段から「こっちが正義! 反対する奴は悪!」なんていう主張は衆愚の極みだということに気づいてほしいものです。今回の件に限らず、どの世界でも分野でも、こういう輩は大勢いるでしょう。皆さんにも思い当たる節はあるはずです。

 

私はアニメやドラマ、映画などの「言葉の音声を伴う作品」で「いち段落が主流になり、ひと段落が消滅する」未来は絶対にやって来ないという確信があります。その根拠は既に示した通り、「ひと段落」という発話の誕生には日本語としての自然な変遷(ドリフト)がはっきり見られるからです。「ら抜き言葉」と同じですね。「ら抜き言葉」を異様に目の敵にするのは3流マナー講師のような連中ばかりで(そもそもマナー講師に1流が存在するのかという疑問はさておいて)、言語を本格的に研究している人たちはむしろ「ら抜き言葉」の正当性・自然性を認めているのを私は知っています。

今は2023年。10年後に「一段落警察」がどうなっているのか、見ものですね。