日本の皆さんいかがお過ごしですか。僕も2年ぶりに帰って来ました。
今年も去年と同じく、パリに留まってどこか旅行しようかとでも思っていたのですが、実は今年2月頃から虫歯が悪化し始めてしまいまして。もともと2年前に一時帰国したときにも治療していたのですが、滞在期間が短くて中途半端になっていたんです。「まあ2、3年くらいならいけるべ」とタカを括っていたのですが、最初は違和感だったのがだんだん痛みに変わっていき、これはもう放置できないなということで、観念してパリの歯医者に通っていたんです。その記事も書こうと思ってたんですけどね、前回も書いた通り、この頃からかなり沈鬱状態だったのでそんな気にもなれず。
で、いつもお世話になっているマダムCからドクターエヴァを紹介していただき、彼女のクリニックに三ヶ月くらい通っていました。初回の診察で「これ親知らずすぐ抜歯しなきゃだめよ」と言われたのですが、さすがにこっちで抜歯までするのはなあと思い、「可能なら7月に帰国するつもりなので、それまで対症療法でなんとかなりませんか」と訊くと、「んー、ギリギリね」ということで了承してもらい、さしあたって痛みのある歯だけ治療してもらった次第です。しかし僕の拙いフランス語でも丁寧に受け答えして下さって、とても親切に治療してもらいました。
そんなわけで抜歯と虫歯の治療を短期集中で一気にやってしまおうということで帰国することにしました。しかし問題はここからですよ。とにかく書類仕事が死ぬほど苦手な僕が果たして帰国手続きを無事に済ませることができるのか。なかなかふんぎりがつかなくて結局飛行機のチケットを取ったのは帰国1週間前くらいでした。今回はなんとJALの直行便ですよ。今まで日本とフランスを4往復ぐらいはしていますが、JALどころか直行便すら一度も使ったことありません。そりゃもちろん価格が高いからです。ところが今回は片道で4万円程度なので相当安いです。まあその分と言いますか、2週間の隔離があるので無駄な費用はかかってしまうんですけどね。
さてまずはPCR検査をして陰性証明書をもらわなくてはいけません。自宅付近に検査場があったので、そこで7月2日、まさにコンサート当日の昼過ぎに検査を受けに行きました。行くとまずタッチパネルで個人情報を色々と入力し、それが済んだらいよいよ恐怖の鼻グリですよ。これだけはやりたくなかったんですが、しかたありません。しかし担当の方の腕前か、思っていたよりかは痛くありませんでした。ありがたい……
で、結果はその日の深夜にメールで届きました。無事陰性で一安心。もちろんフランス語なので、「日本に入国する際に英語じゃないといけないので、英語翻訳してくれませんか」とメールで依頼。翌日返信が返って来て無事に英語版も入手。これでなんとかなるはず……
4日の日曜日、飛行機は19時発なので、かなり余裕を持って荷造りができました。しかしなんかトラブルがありそうなので、15時過ぎには空港に着くように向かいました。えらい俺。
フランスはもうバカンスに突入したためか、出発ロビーにはそれなりに多くの人がいました。もちろんかつての頃とは比較にはなりませんが。ちなみにJALはこのとき僕以外の客はいませんでした。
カウンターでPDFの陰性証明書を見せると、
「この形式の書類はお持ちではありませんか?」
『え、なにそれは……』
どうやらこれじゃないと公式の証明書であってもダメみたいですね。いやー知らなかったよぼかぁ。「予想通り詰んだか……」と天を仰いでいたとき、日本人の係員さんがやってきて対応して下さいました。
「これの英語版じゃなくて、フランス語のオリジナルはありますか?」
『ありますよ』
「あーこっちだったら正しいですね。これ翻訳が間違っていて英語版の方は検査方法が日本では認められていない方式で書かれていて、フランス語版でしたら問題ないですので、これを持ってメディカルセンターのお医者さんの所へ行って、この書類に記入してもらいましょう」
なんとかなりそうでほっと一安心。と思いきや、
「今日ストライキやってますよね。それでメディカルセンターにお医者さんいないみたいなんです。でも書き写すだけなら権限のある人はいると思うので、ちょっと待っててください」
この一瞬のやりとりだけで実にフランスらしいエピソードまみれです。その後メディカルセンターへ行って正式な書類に記入をしてもらって、無事に搭乗手続きを終えることができました。こいついつも人生綱渡りしてんな。
搭乗口エリアの高級ブティックはどこもガラガラで暇そうにしています。ずっとこんな感じなんでしょうね。
さていよいよ搭乗。
機内の様子はこんな感じ。貸切とまではいきませんが、1ブロックは余裕で占有できる程度の客しかいません。客室乗務員の方々も暇なのか、一人一人わざわざ挨拶に来てくださって、至れり尽くせりです。こんな快適な飛行機旅がかつてあっただろうか(反語)。
機内食でソーメン(真ん中のやつ)が出てきたのは初めてですね。今まで格安飛行機の機内食も別に不満はなかったですが、やっぱJALとなると美味しいですねえ。この亀田製菓のナッツがまた美味しいんですわ。食後にハーゲンダッツも出てきました。
デンマークとスウェーデンの間にあるアンホルト島。
まさに夏至の季節なので、こんな感じでずっと夕日が沈まない景色が続いていました。機内食が終わったら窓を閉めなきゃいけないんですが、あまりに景色が綺麗だったんで、光が漏れないように手で覆いながらずっと眺めてましたね。これも隣に人がいたら絶対できないので、楽しかったです。
そして翌日13時に羽田空港に到着。まずは唾液検査を行った後、諸々のアプリのインストールやら書類の記入やらを行います。そして3日間の強制隔離後の滞在場所を訊かれたのですが、まだ決めていないと言うと「今決めてください」とのこと。隔離中にじっくり決めようと思っていたのですが、しょうがないのでその場でMacBookを広げて色々検索し始めます。
ところがまず飯付きの宿を探すのが難しい。仮にあったとしてもかなり高い。参ったなーと思いつつ20分近く探していました。
「どうですかねえ」
『んー、これ食事付きのホテルじゃないといけないわけですよね。となると中々……』
「いえ、近くのスーパーやレストランは利用しても問題ないですよ』
『え、そうなん?』
それアリなのか。それなら素泊まりでいいので助かりますが、だったらこのまま空港から移動せずに札幌まで飛行機乗せてくれてもいいんじゃね、って思っちゃいますよね。まあそんな個別の事例に対応はしきれないから仕方ないのはわかりますけども。
そんなわけで隔離後のホテルも無事に決まり、あとは唾液検査を待って、その後強制隔離のホテルへバスで移動します。空港着が13時、検査結果が出たのが17時、ホテルに着いたのが19時なので、割と時間はかかりましたね。
僕の隔離ホテルはアパホテル横浜ベイタワー。思ってたのよりずいぶん上等な所へ案内してくれるんですね。
僕の部屋は34階。いやこんな所普通に泊まったら結構いい値段しそうですけどね。まあ運が良かったんでしょう。
札幌に戻ったらまず真っ先にとんかつ屋に行こうと思ってたらまさかの不意打ちを喰らいました。お弁当も僕からすれば普通に豪華で、なんの不満もなかったです。
そんな感じで強制隔離生活が始まったわけですが、まあ基本的にはパリ生活の上位互換ですよね。部屋は狭いかもしれませんが、それはパリの自宅もまったく同じですし、ご飯も3食あってエアコンもあって綺麗な部屋で、なんという贅沢。パリで1日3食なんて一度たりともありませんでしたよ。(こんな規則正しい生活、僕のデータにないぞ……!)と胃袋が混乱しています。まあ上等なスピーカーがないのだけは残念ですけどね。やはりアニメ見るにも音楽聴くにもそれが大事ですから。
「でも部屋から出ないで3日間なんて暇すぎて無理ー」という人もいるでしょうけれど、僕の場合はアニメ見たり、ツールドフランスのニコニコ中継見たり、本因坊戦の最終局を見たりとなかなか忙しい日々です。いやーしかし井山の本因坊防衛は嬉しかったですね。これまでの戦績で正直今回はダメかなーと思っていたんですが、最終局まで粘ってよくぞやってくれました。他のタイトルを失ったとしても、本因坊だけは40歳くらいまで維持してもらいたいです。
隔離の最終日にもう一度検査をやってからここを離れる予定なんですが、結果が出るまでに時間がかかる場合があるのでもう一泊できるオプションがあるようです。もちろん僕は延泊を選びました。これで一泊分浮きますからね。なので急いで予約を変更して、隔離後の滞在を1日ずらしました。こういうことがあるので、帰国前にホテルの予約とかはしたくなかったんですよね(正当化)。
以上、帰国までの流れと隔離生活の報告でした。その後の様子はまた次回。