2月6日、シテ・ドゥ・ラ・ミュージックのダネル弦楽四重奏団「5夜連続ヴァインベルク祭り」の3日目コンサートへ行ってきました。
作曲家ヴァインベルクと、演奏するダネル弦楽四重奏団の詳細については2日目の記事をご覧ください。
1. 弦楽四重奏曲第7番 (1957)
2. 弦楽四重奏曲第8番 (1959)
3. 弦楽四重奏曲第9番 (1963)
3. 弦楽四重奏曲第10番 (1964)
第6番を作曲してから第7番に至るまで10年以上の開きがあります。この間にヴァインベルクは自身の作品が演奏禁止になったり、秘密警察によって逮捕されたりして受難の時期を迎えていたのです。
今回の4曲は彼が40歳前後の頃のもの。作曲家として脂が乗ってくる時期で、確かにそれまでの作品と比べて独自の書法や方向性が強くなってきたと感じます。ただ僕の意見としては、7・8番は作品としてあまり魅力的ではないです。彼の置かれた状況が作品に影を落としたこともあってか、沈痛な表現が多く、瞑想的な音楽になっていますが、昨日の3作品の方がのびのびとした表現に溢れていて、そちらの方が彼の魅力を引き出していると思いました。
でも9番は良かったです。第1楽章が非常にキャラクターの強いモチーフで面白いですし、終楽章も以前のような多彩な書法を取り戻して、効果的に使ってます。第4番以来の、古典的4楽章構成への回帰作品でもあるのですが、全体のバランスが良くとれてます。やはりずっと同じ調子が続くと飽きてしまいますからね。
さて演奏なんですが、昨日は絶賛の内容しか書かなかったのですが、彼らに何一つ不満がないわけでもないのです。これは初めて札幌で聴いたときから一貫して変わらないのですが、ヴィオラがちょっと物足りないんです。
弦楽四重奏作品の歴史というのは内声が重要性を増していく歴史でもあるのです。内声というのは2ndヴァイオリンとヴィオラのことです。カルテットの始まり、すなわちハイドンの初期作品でのヴィオラが眠ってても弾けそうなほど退屈だった頃から、ベートーヴェン、シューベルト、ドヴォルザークなどを経て、ドビュッシー以降の作品では2ndヴァイオリンが1stと完全に同格であることを求められたり、ヴィオラにソリスト的表現を求められたりするようになっていきます。
実際に合唱や器楽のアンサンブルを沢山経験している人は、内声の人の実力次第で演奏内容がまるで変わってしまうことをよく知っています。それぐらい、内側を支える人にはソルフェージュ能力(音楽を的確に分析し、瞬間的に表現する能力)が必要なんです。
ダネル弦楽四重奏団のヴィオラは素晴らしいには違いないのですが、やや冷静すぎるきらいがあり、それも長所と言えなくもないのですが、「もう少し来いよ!」と思う場面が少なくありません。特に1stヴァイオリンは昨日の記事でお話しした通り熱量王ですから、どうしてもバランスが悪くなってしまうのです。
特に今回の第8番ではヴィオラが重要な役割を担っているにも関わらず、いまひとつ表現力に欠けるなあと終始感じていました。良い応答ができてる瞬間もあったりはするのですが、できればもっと意欲的にアンサンブルを盛り立ててほしいところです。
今回はアンコールの前に何もお話がなかったので何の曲なのかはわからなかったのですが、演奏が凄まじく良かったんですよ。今日一番良かったかもしれません。でもなーんか聴いたことあるんだよなあーくっそー思い出せない。最後1stヴァイオリンが弓を跳ねさせながら小さく消えていくのですが、PP(ピアニッシモ)の10倍小さい音でコントロールするのは神業としか言いようがありません。笑っちゃいますよね、ああいうの見せられたら。