Festival Présences 2019(リーム祭り)最終日 2/17@ラジオフランス

スポンサーリンク

2月17日、ラジオフランスで開催中のFestival Présences 2019、最終日のコンサートへ行ってきました。

フェスティバルの概要については2日目の記事をご覧ください。

 

今日は2つです。まずは1つ目、合唱のコンサートです。

 

プログラム

始まってすぐに司会から演奏順の変更が発表されたので、その順で感想を書いていきます。

 

1. Philippe Schoeller (1957-) «Eros Songs»(2018)(世界初演)

フランスの作曲家。ブーレーズやクセナキス、ラッヘンマンなど名だたる作曲家たちから教えを受けてます。12人のアカペラ作品で5つの部分に分かれてます。確かに歌うのは難しそうではありますが、しかし響きそのものはよく練られてます。合間にちょくちょく咳払いや呼吸音など、楽器で言うところの特殊奏法のようなものが入ってくるのですが、別に対して効果的じゃないので要らなかったと僕は思います。普通に合唱だけで勝負できる出来でしたから、余計なものはない方が好きですね。6.0。

 

2. Vincent Trollet (1978-) «Blessure»(2018)(世界初演)

フランスの作曲家。8人の合唱とクラリネットの作品。珍しい編成ですね。その割にはクラリネットの使い方がおとなしいというか、あまり意義のある使い方をしてなかった印象です。声の重ね方もいまいち。こちらは歌いにくいだけで音が面白くなかったです。3.0。

 

3. Adrien Trybucki (1993-) «Clastes»(2018)(世界初演)

昨日、日本生まれの彼が一番若いと書きましたが、こちらの方が若かったですね、失礼しました。フランスの作曲家で現IRCAM研究生。こちらの曲も同じく8人とクラリネットですが、バスクラリネットも併用してます。歌詞がなかったので特殊な声ばかりで攻めてくるのかと期待したのですが、案外普通の発声が多かったです。構成も音もそれほど目を引くものがなくて、何が売りなのかよくわからなかったです。3.0。

 

4. Wolfgang Rihm (1952-) «Astralis» (2001)

トリにリーム作品。30分の巨大作品で、これも昨日のと同様、長いし退屈…。16人の合唱とチェロ、ティンパニーという大変珍しい編成ですが、とにかく終始似たようなテクスチャーが延々続いていくのがつらいです。なんだかリームに巨大作品作らせると碌なことにならないなという印象になってしまいました。2.5。

 

 

長かったフェスティバルも次がエンディングコンサートです。

 

プログラム

 

1. Wolfgang Rihm (1952-) «Missa Brevis» (2015)

この曲だけ合唱アカペラです。先ほどとは打って変わって、非常に洗練された曲です。ミサ曲の伝統に基づいてか、やや調性感をかすったり対位法的な書法が目立ちます。4曲に分かれていますが、どれも対照的で聞き飽きないです。なぜ同じ作曲家でこんなにも違うのか。まあそういうものなんですけどね、えてして… 5.0。

 

 

ここからは全てオーケストラ。演奏はフランス放送交響楽団、指揮はミッコ・フランクです。フィンランド人でヴァイオリン出身、次に演奏するラウタヴァーラの友人でもあります。まだ若いながら既に世界的な地位を得ている指揮者です。

 

2. Einojuhani Rautavaara(1928-2016) «Two Serenades» (2016)

ラウタヴァーラはフィンランドの作曲家。亡くなった今となってはシベリウスに次ぐ国民的英雄作曲家と言えるのではないでしょうか。同世代のダルムシュタット組とは違い前衛的な作風から転向し、堂々と調性的な響きやロマンチックな、湿った響きを好んで使うので、作曲家よりも一般的な人気が圧倒的に高い人です。

この作品は彼の遺作です。『2つのセレナード』の1つ目は最後まで書き上げたのですが、2つ目はピアノスコアの大部分を書き上げたところまでで、オーケストレーションをする前に亡くなってしまいました。その補遺を行なったのが教え子であるKalevi Ahoで、今日ここで世界初演を果たすことになりました。

1曲目、『愛のセレナード』は弦楽器とヴァイオリンソロのみ。彼のこれまでの作風通り、調性的ロマンチシズム溢れる作品です。ヴァイオリンも技巧に走ることなく、朗々と旋律を歌い上げることに徹していました。

2曲目、『生のセレナード』から管楽器が加わります。これが補遺なのですが、僕としてはこちらが良く出来てると思いました。木管楽器が重要な役割を果たしているのですが、非常に色彩的で、元の楽想を輝かしく描けていると感じました。曲の最後の部分で突如リズミカルな書法に変わるのですが、そこで音楽が終わってしまいました。これはやはり展開させてほしかったと思ってしまいますね。そこだけは残念です。6.5。

 

 

終わった後で指揮者が上を仰いで手を振っていたのが強く印象に残ってます。きっと彼がこれからも世界中にラウタヴァーラの音楽を届けてくれるでしょう。日本でも今後は聴く機会が増えると思います。

 

 

3. バッハ『オーボエとヴァイオリンのための協奏曲』
4. R.シュトラウス『メタモルフォーゼン~23の独奏弦楽器のための習作』

後半はクラシカルな演目。ラウタヴァーラのときにヴァイオリン独奏をしたのが今をときめくヒラリー・ハーンで、彼女を出したいが負担にならない程度の作品でこれを選んだのではないでしょうか。バロック音楽だろうがお構い無しにロマンチックなビブラート全開で弾くのが彼女の流儀です。

 

それはいいのですが、最後のメタモルフォーゼンは珍しい曲目で、生演奏で聴くのは僕も初めてでした。R.シュトラウスは1864年生まれながら第二次大戦後まで長生きした作曲家で、この作品も1945年のものです。例によってWikipediaに作品個別の解説がありました。

 

Richard Strauss – Metamorphosen

 

解説では一切触れられていませんが、僕にとってこの作品は「転調ゲーム」なんですよね。この作品調号なしで書かれていますが、それは無調という意味ではなく、転調しすぎで調号の意味をなさないということなんです。「お、次はこういう進行が来るかな?」というのをことごとく裏切りながら、それと同時に主題の展開も行なっているので、それが楽しい作品なんです。

30分弱あって長い作品なのですが、その楽しみがあると興味がずっと持続されるのです。だから今日聴きながら、「やっぱり長い作品にはこういう工夫がないといかんな」と改めて思いふけっていました。そうなってくると、昨日今日とリームの巨大作品にケチをつけてきましたが、ひょっとしたらこういう楽しみに自分が気づいていないだけかもしれない、と思ったんですね。自分程度の耳で一回聴いただけで全てを判断できるなんて、思い上がりもいいところです。ここに書き連ねているのは所詮そんなもんなんです

でもそれができる人にはできるのです。そういう人を自分は少なからず知っています。将来自分がそうなれるなんて微塵も思えないのですが、しかし努力を放棄しても仕方ないですから、こうやって恥を撒き散らしながら日々学んでいくしかないのです。

 

 

フェスティバル最後の曲で何か大きな反省を促されて、勝手に自分の中でまとまったような、そんな締めくくりでした。

まあ確かに疲れるし面倒だと思う気持ちもなくはないのですが、たまにはこうやって新曲を浴びるように聴くのは大事だと思いました。出会いがあるかどうかだけじゃなく、こうやって自分の中で考えが生まれたりまとまったりする機会になることもありますから。

「しかしこんなにコンサート続きでずいぶん散財したんじゃないか?」 いやいや、このフェス全部合わせても1万円程度です。現代音楽は安いのがいいですね。やはり自分は現代音楽に向いている…?(こじつけの極み)