今期アニメ『YU-NO』と、偉大なる作曲家 梅本竜

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本来はもちろん『YU-NO』も第1話評価まとめで感想を書いていたのですが、あまりにもここだけ文量が多くなってしまって、まとめ記事としてはバランスを欠いてしまうのでこれだけ別記事にすることにしました。アニメ本編以外で書かなくちゃいけないことが多かったから、仕方ないですね。

なので文章の体裁として、第1話評価まとめに本来挟まっていたもの、というつもりで書いているので、その点ご了承ください。今更書き直すのが面倒だなんてことはありません。ほんとほんと。トラストミー

 

では『YU-NO』の第1話感想です。

 

C この世の果てで恋を唄う少女YU-NO

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原作プレイ済み。原作というのはもちろんPCエロゲー版のことです。「お前マジでおっさんだったんだな」って? うるさいよ。いや発売当時にプレイしたわけではありません。PC版が発売された1996年って初代ポケモンと同じ年ですからね、さすがにその時は僕もポケモンをやっていました。汚れる前でしたから

それにしてもまさか『YU-NO』について語る日が来るとは思わなかったですね。他の多くのファンと同様、僕もこの作品に対しての思い入れが非常に大きいです。特にその音楽に。これは後述します。

 

作品についての詳細はWikipediaに詳しく書かれているのでそちらを参照してください。ただこれからアニメを見ようと思う方はネタバレも含まれているので登場人物以下の記述は見ない方がいいでしょう。

原作を一言で言えば「エロゲー界のみならず全ゲーム界における革命的一作」、これに尽きます。グラフィック、テキスト、音楽だけで構成される「サウンドノベル」というゲーム形式が認知され始め、そこに「選択肢によるシナリオ分岐」を加えたものが結局現在まで続いているエロゲーまたは全年齢ADVゲームの基本形式なのですが、選択肢による分岐チャートを可視化し、並列世界という概念をゲームシステムの中に組み込んで、さらに並列世界を移動するデバイスを作中に登場させ、主人公の視点の中で、つまり主人公と(一体化する中で)共にシステムと世界の謎を解明していくという、非常にスケールの大きいプロジェクトを見事実現させた一作なのです。

作品の世界観、シナリオとゲームシステムが完全な融合を果たすということがどれほど難しいことか。いや難しいというより想像すらできないんですよね、普通は。唯一可能性があるとすればそれが企画の全貌を頭の中に描ける一人の人間の手によって為されるほかないでしょう。それが菅野ひろゆきなのです。

 

『YU-NO』から数年経つとエロゲー含むサウンドノベル全般にボイスがつくようになり、グラフィックも非常に早いペースで進歩していきました。しかしまさにそれによってシステムの発展が止まってしまったのです。高品質のボイスとグラフィックで十分売り物になってしまうからです。シナリオでさえもさほど品質が求められない。なので先述したように単純な選択肢分岐のシステムが今もなお続いているのです。「『YU-NO』を超える作品は未だに存在していない」というファンの声も、その意味においてはまったくその通りだと僕も思います。

(ただそれが必ずしも悪い意味だけではないとも思っています。ボイスがつくようになったことで、サウンドノベルは新たな楽しみ方を獲得しましたし、声優業にも大きな変革をもたらしました。音楽もその後重要な作品がいくつも生まれています。これについては機会を改めてまた語りたいと思います。)

 

この作品がゲーム業界に与えた影響は大きく、「平行世界」「並列世界」という概念が広く浸透するきっかけとなりました。その代表例として『STEINS;GATEシリーズがあり、その企画者である志倉千代丸が『YU-NO』のリメイクと今回のアニメ化に深く携わっているという、そういう流れなわけです。

 

ようやく本題ですが、原作発売から20年以上もアニメ化がされなかったのは、もちろん利権関係もあるのでしょうけど、単純に「映像化が不可能、または極めて難しい」というのが大きいと思います。先述したように原作は全ての要素が融合された企画だったのであって、ゲームという媒体以外でそれを表現するのは不可能なわけです。今回アニメ化するにあたってその障害を乗り越えたり、大胆なアレンジを加えて新しい見せ方を提案する、というような意欲はほぼないだろうという確信があります。単に商業的理由で作られたにすぎないというのがこの第1話ですでに前面に現れているというのが僕の意見です。

 

『フルーツバスケット』のときも述べましたが、古い作品にはその時代に根付いたノリみたいなものがあって、それは『YU-NO』も同様です。いや、もっとそれが根深いとも言えるでしょう。僕が『YU-NO』をプレイしたのは原作発売から約10年後のことですが、そのときで既に主人公のキャラクター設計やテキストのエッセンスが古臭いなと感じたものです。もちろんグラフィックもそうですね。2000年前後のPCゲームグラフィックの進歩はとてつもないスピードだったので、プレイしながら「これは自分より下の世代の人間がプレイするのはキツいだろうな」と思ったものです。

今回のアニメ化ではその古臭さが悪い意味で残っていて、薄ら寒いものがあります。だから美味しいところだけつまみ食いするようなリメイクはうまくいかないんですよ。やるなら徹底的に、これを肝に命じておきたいものです。

 

さて一番重要な話をします。かつて古臭い部分もあるなと思いながらプレイした『YU-NO』ですが、まったく古臭さを感じなかったものがあります。それが音楽です。

『YU-NO』の音楽を作曲したのは梅本竜僕が最も尊敬するゲーム音楽作曲家の一人です。彼が『YU-NO』のサウンドを担ったのが22歳、この若さでサウンドノベル音楽の歴史的傑作を作り上げてしまったのです。まぎれもない天才と言えましょう。

当時の全ての音楽家の中でも、PC98のFM音源を最も巧みに使いこなした一人でしょう。彼の音楽はFM音源の特性と切っても切れない関係にあります。まさしくFM音源の魅力を最大限発揮するように作られているのが彼の音楽なのです。そしてゲーム音楽の中でもサウンドノベル音楽はちょっと特殊で、他のゲーム音楽よりも効果音などに邪魔されることが少ないので、ゲームの中での重要度がかなり高いのです。特にこの頃はボイスがなかったですから、聞こえてくる音はほぼ音楽だけなのです。そのサウンドノベルの形式に見事に合致している、だけでなく『YU-NO』という作品そのものと完璧な融合を果たしているのが、すごいというか、なんでこんなことが出来るのか理解できないほどです。

 

…これを書くだけでもつらいのですが、彼は2011年に、37歳でこの世を去りました。

本当にショックを受けました。その頃の彼の作品からは、非常に強い個性を残しつつも新たな境地に挑もうとする意欲が感じられて、今後どうなっていくのかとても楽しみにしていただけに、残念でなりませんでした。岡崎律子といい彼といい、音楽界の至宝とも言える才能の持ち主が世を去っていくたびに、言いようのない無常感におそわれます。

彼の音楽は海外でも高く評価されていましたから、海を越えて悲しみの声が多く寄せられていたのをよく覚えています。

 

しかし。それでも僕にとって、作曲家梅本竜はまだまだ評価が足りていません。おそらくこれを読んでいるほぼ全ての人がその名前を知らなかったことでしょう。認知度もそうですが、もっとその功績が認められて、将来ゲーム音楽史の然るべき位置にその名前が刻まれるべきなのです。

おそらく正当な評価が伴っていないのは彼が「エロゲー」出身であることも関係しているでしょう。しかし時代は変わりました。エロゲー出身のシナリオライターや原画家が表舞台で次々と活躍するようになりました。あの新海誠がかつてエロゲーのオープニング映像を多く手がけていたことを知らない人もいまだに多いでしょう。その時代の変化の波が訪れる前に亡くなってしまったことが本当に悔やまれます。

 

梅本竜の再評価は僕にとって使命のようなものにさえ感じています。なので時間がかかっても必ずいつか彼の特集をやりたいと思っています。彼の作品の分析を行い、残してくれた遺産がしっかり次世代へ継承されるように周知していかなければなりません。もちろん、僕自身もそれを受け継ぐ一人として。

 

そしてくれぐれも言っておかなければならないのは、アニメの劇伴で梅本の音楽を判断してはいけない、ということです。第1話から早速彼の音楽のアレンジ版が多く使われています。彼の音楽は『YU-NO』のゲームデザインとサウンドノベルという形式に最適化されているので、そのままの音楽をアニメに使うことはできません。なのでアレンジをするのは当然のことなのですが、残念ながら手を加えた時点で彼の音楽は死んでしまうのです。

これまでも『YU-NO』のアレンジ版はいくつかありましたが、そこに新たな魅力が生まれていると言えるのは一つもありません。率直に言えば「劣化している」結果にしかなっていません。音楽にはアレンジしやすいものとしにくいものがあって、梅本の曲は後者の中の最奥に位置するようなものなのです。

 

「そんなこと言ったって仕方ないじゃないか。アニメとして仕上げなければいけないのだから」
僕もそう思います。でもそういう態度で生まれるものはその程度の結果にしかなりません。音楽に限らず全ての要素でそういう態度が透けて見えるので、先述したように今回のアニメ化がうまくいくとは思えないのです。

 

『YU-NO』の音楽が全て収録されているサウンドトラックはずっと発売されていなかったのですが、2017年に発売されたリメイク版の初回特典にサウンドトラックがついてくるということで、その為だけに買いました

 

 

この世の果てで恋を唄う少女YU-NO – Switch

 

Vita版のレビューで「作品の評価がものすごく高いのでプレイしてみたらガッカリだった」というのがありますが、まあそうだろうなと僕も思います。理由はこれまで述べたとおり、つまみ食いのリメイクなんてうまくいかないのが当然なのです。しかし言うまでもないのですが、「今の時代から見て古臭いというだけで過去の評価まで否定する」なんていうのは愚かしいにもほどがあります

よくある話ですが、最近の子が手塚治虫の漫画を読んで、「これ他の漫画でも似たようなの見たことあるよ」っていう反応をすることがありますが、いやそれ手塚が初めてやったんやでっていうのと同じことです。それと元々菅野ひろゆきはテキストそのものを磨くタイプのクリエイターではないので、文章のエッセンスが今の時代に受け入れられないのは仕方のないことです。

 

僕は菅野ひろゆきのゲーム企画力は永遠のものだと思っていますし、それは梅本の音楽も同じです。こういう形のリメイクやアニメが世に出てしまった以上、かつてのような評価を『YU-NO』が再び獲得することは決してないでしょう。まあ本来あらゆる作品は忘れ去られる運命にありますから、それは仕方のないことです。

しかしそこにある本当の魅力を知ってしまった人間には、それを世に伝えたいという気持ちが生まれます。僕はゲームクリエイターではないので菅野ひろゆきのすごさを十分に語ることは出来ませんが、しかし作曲家として梅本竜のすごさを語ることは出来ます。なのでこれは僕の使命なのです。

 

梅本の死と同じ年に、菅野ひろゆきも亡くなりました。『YU-NO』の二人が同時にこの世を去ってしまい、一つの時代が終わったのだなと思ったのは僕だけではなかったでしょう。

 

 

まとめになりますが、今回の『YU-NO』アニメ化が十分な成果を上げることはほとんど期待していません。ですが最後まで見届けようと思っています。これだけ語ったくらいですからね。

実際の『YU-NO』のサウンドトラックを紹介したいところですが、リンクを直接貼ることはできないので、Youtubeで検索してみてください。「yu-no ost pc-98」なんかで検索すると聴けるでしょう。画面上部に棒グラフのようなものとピアノ鍵盤が映っている動画があればそれが一番おすすめです。