『ケムリクサ』について思うこと、アニメ演出の難しさ

 

 

2019年冬アニメが一通り最終回を迎え、新たなシーズンが始まりました。自分が追っていた作品の総括をすぐにしたいところなんですが、その前に今回取り上げる『ケムリクサ』について、自分の思うところを書いていこうと思います。考察ではありません

以前に書いた途中経過の通り、僕は『けものフレンズ2』をすぐに視聴中断しましたが、どうやら世間的にはそのクオリティのあまりの低さとの対比で、ケムリクサを高く評価している人が多いようです。なぜこの2作品が比べられるのか、知らない方は別に知らなくても問題ありません。くだらない理由なので

 

さて『ケムリクサ』を最後まで視聴した感想ですが、結論を簡潔に述べるなら「発想は面白いが、見せ方が物足りない」という感じです。製作陣は少人数・低予算体制なので、もっと大規模な体制で作っている作品に比べて制限が多いのは仕方のないことです。にも関わらずこれだけ評価が高いのは、他の作品ではあまりみられない「世界と世界観を解明していく楽しさ」「人物描写の細やかさ」によるところが大きいのだろうと思います。実際、同じ制作陣の前作『けものフレンズ』も、その2点が人気の中心でした。

本題はなにかというと、その「人物描写の細やかさ」が十分に描かれていたのかどうか、他に選択肢はなかったのかどうかを中心に、2012年の『同人版ケムリクサ』も参照しながら、僕が『ケムリクサ』をそれほど高くは評価できない理由を書いていくことです。繰り返しますが考察ではありません。

 

以下、とんでもないネタバレのオンパレードになるので、もし少しでも『ケムリクサ』をみてみようかと思っている方は絶対に全話見てから読み進めてください。一応Amazonのレビューでは高評価がやたら多く投稿されているので、気になる方はレビューを読んでみてもいいかもしれません。僕としてはそれを真に受けるのはどうかなと思っていますが。

Amazonで見たい方はこちらからご覧ください

 

まあこのブログの読者の中で『ケムリクサ』を見ている人は誰もいないんじゃないかと思ってるので、じゃあ何のために書いてるんだって話なんですよね、実際。わかってるんですが、アニメ総括記事の中で中途半端に触れると誤解される恐れもあるし、かといって見終わった以上まったく触れないわけにもいかないし、数年後にこれを見る人もいるかもしれないし、自分の考えを整理するのにも役に立つので、大変なのですがいっちょ書いてみようというわけです。

 

 

以下本題に入ります。ネタバレ注意。

 

 

りんの恋心は誰のもの?

 

 

まず初めて第1話を見たときに思ったことですが、最後りんが心の中で「(なんだ、これは…)」と呟きながら顔を赤らめるシーンで終わりますが、俗な言い方をすればチョロすぎる、もう少しちゃんと言うなら安っぽいヒロイン設計なんじゃないかと不安になったわけです。

これは最終話まで見て初めて、「ああ、りりのワカバに対する「好き」の気持ちがりんへ継承されたからだったのだな」と理解できるわけですが、まずここに問題点がなかったのかどうか。

 

そもそも、その理解がなければなぜ安っぽく見えるのかについてですが、この特殊な世界観というのを抜きにすれば、女の男に対する第一印象が最悪の出会い方をして、その後男の意外な一面や勇気ある一面を知って惚れていくというのはアニメに限らずあらゆる創作で非常に典型的なわけです。しかも普通はそれをある程度時間をかけながら描くのに対して、第1話時点ではそれが超スピードで惚れるところまでいってしまったためにチョロく見えるわけですね。根が真面目なキャラクターというのも相まって、安っぽいツンデレヒロイン像を彷彿とさせます。

 

これはケムリクサに限った話ではないのですが、「仮に後でその背景が判明する、または人物の評価を好転させるように描くとしても、最初の悪い印象を引きずり続けるのは危険である」というのを忘れてはいけません。絶対に悪いとは言いませんが、危険であることは間違いありません。よく見られる解決策としては、「ダメな人物像の中にも愛すべき一面があるように描く」か、「後から見返したときに実は十分なヒントが撒かれているのだろうと予感させる」ように作るパターンです。

今回は後者の場合ですが、初めてりんがわかばと出会ったシーン、

 

 

 

わかばの顔にキラキラエフェクトが入って、

 

 

 

それを3秒ほど見つめるカットで終わります。このキラキラエフェクト自体についても後で触れますが、僕はこれでは描写が不十分だと判断します。要するに、第1話の時点で「惚れやすいのはそうかもしれないが、おそらく何かがあるんだろうな」と感じさせてほしいわけです。このエフェクトはあくまで後から見返したときの説明のためのものであって、初見時に何かを予感させるものではありません。それだけでは問題だというのが僕の主張です。

 

じゃあどうすればいいのか。これは監督のバランス感覚によるものなので正解はありませんが、いくつかの選択肢、つまり定石のようなものは誰でもすぐに思いつきます。

まず大胆に11話のカットを持ってくる方法。りりが頭を撫でられているところや、ワカバの後ろ姿、あるいはもっと曖昧に誰も映っていないカットを持ってきてもいいでしょう。要はなにかがフラッシュバックしていることが伝わればそれでいいので。しかしこれはあまりにも露骨で、今作は特に11話が大変重要なので、この手法はとるべきではないでしょう。

 

次に、りんに心の中で喋らせる方法。これも別に言葉はなんでも構いません。「(こいつ…)」とか「(なんだ…?)」とかで十分です。これは第1話の後半でわかばとの会話の中で出てくる心の声とはわけが違います。初めて出会った瞬間につぶやくので、これだけで「なにかある」と思わせるには十分です。ただしこれも前の例ほどではないにしろ、少し露骨です。

 

僕としては次の二つのどちらかを勧めます

まず一つは、わかばの髪だけを映したカットを挿入する方法。さきほどのキラキラエフェクトでわかばの全身を映すカットの直後に髪のアップを1秒ほど挿入して、りんのカットにつなぎます。バランス感覚としてはこれぐらいがベストだと僕は思います。これでも多くの視聴者の印象はさほど変わらないでしょう。でもこれをやるかやらないかでは表現の質が大きく変わってきます。もちろんこれを採用するなら、11話でもちゃんとワカバの髪だけを映すカットを入れるのを忘れてはいけません。

 

もう一つは、りんが見つめるカットの直後にりんの口元だけを映すカットを挿入する方法。口を動かして「ワ」と言おうとした瞬間にりなたちが「ムシだー!」と叫ぶようにつなげるわけです。当然セリフとして声には出しません。これもバランス感覚としてはちょうどいい。なぜなら初見ではこのカットにいろんな解釈の仕方が生まれる余地があるからです。念のため言っておきますが、もちろん「ワカバ」と言おうとしたという意味です。

 

わかりますかね。これがアニメの演出というものの初歩だと思います。こういう手法を採用するのに予算も手間もほとんどかかりませんが、内容を大きく膨らませることが出来ます。もちろん僕は専門家でもなんでもありませんから、偉そうなことを言える立場に全然ありませんので、むしろこういうアイデアがダメだというなら是非教えていただきたいんです、本当に。勉強になりますから。

 

まあとにかく、これで「ただのチョロいヒロイン」という印象を和らげることができる、というアイデアの紹介でした。

 

それでキラキラエフェクトについてですが、ケムリクサでは人物が好きなものを語るときにキラキラエフェクトが出てくるように演出しています。りつがみどりちゃんを語るとき、わかばがケムリクサを語るとき、などです。なので本来は主体となる人物にエフェクトがつくので、先ほどのわかばにキラキラが見えるというのは変則的な使い方なんですね。ここ以外にはありませんから。そういうところの整合性をとる意味も含めて先ほどのアイデアを紹介したわけです。

で、りんには好きなものがなかったのでそのエフェクトが使われることもなかったのですが、最終話の最後の最後で告白するシーンにそれを持ってきた、というわけですね。理屈はもちろんわかります。それでも果たしてどうなのか

 

僕にはこれも安っぽく見えるんです。元々のエフェクト自体が安っぽいというのもそうですが、実に漫画的というか戯画的というか、そういう表現の仕方なわけですよね。このアニメでも登場する、わかばが落ち込んだときに影が入る表現や、慌ててるときに白目になる表現と、同列なわけです。他のキャラクターが夢中になって好きなものを語ってるときの表現としては適切ですが、りんのわかばに対する気持ちの表現をまったく同列にしていいものなんですかね

 

11話でりりにもキラキラエフェクトが入ってます。
「ワカバがケムリクサの話してるの見るの、好き!」
「へっへっへー、ワカバといっしょ!」
のところですね。これはわかります。このときのりりの年齢では、「ムシに対する好き」も「料理に対する好き」も「ワカバに対する好き」も、本人の中で区別がないのでしょう。

りりは分裂して大人になって、五感や能力だけではなく、もともとあった色々なものに対する「好き」の気持ちもそれぞれの人格へ分割されて継承されました。しかしその中でもわかばへの「好き」だけはもとのそれとは違ったわけです。娘の父親に対するような好きの気持ちから、男性への「恋心」へと変化しました。それまでになかったし、他の人格にも現れていない、身体的な変化が描写されています。

 

 

 

2話の前半です。
「体の具合が少し変だ。顔のあたりが熱くなる気がする。他にも胸元がドクドクしたり、視界が少し眩しく曇る… ときもある気がする」
これを言った後で「これは毒なんじゃないか」と、この変化を表面上コミカルに描写してそれがのちにも続いていくのですが、しかし根本では非常に重要な変化です。

 

りんの恋心は誰のもの?

 

りんの「好き」の気持ちのタネは、確かにりりから継承したものです。しかし、まず最初に精神的・肉体的な成熟によって、次にわかばと共に生きていく日々の中でりん自身が自覚のないまま、それでも確実に膨らんでいく愛情へと、りりから離れてりん自身の胸の中で発芽していったわけですね。だからりんがケムリクサを自分から遠ざけても顔が熱いままなわけです。これが『ケムリクサ』12話をかけて描いてきたことなんじゃないんですかね。

それを、「人って好きなものを語るときについついそうなってしまうよね」という戯画的表現のキラキラエフェクトで告白シーンを演出する、というのに強い違和感を覚えます

 

これの解決は容易ではないですね。「好きの気持ちと共に生きる」ことがテーマの本作において、りんにそのエフェクトを一度も使わずに終えていいのかと言われると、それもどうかなと思います。かと言って本編の安っぽさが最適解だとは到底思えない。一応告白シーンのエフェクトだけ他にはない青いブラーが入ってるんですが、それをもってここだけ特別に演出したと言われても納得できるものではないですね。

 

貧相な僕の発想で思いつくのは、例えば本編のブラーを採用するなら、ブラーの色を少しずつ変化させる方法。最初は他のキャラクターと同じエフェクトだったものが少しずつ赤とかピンクっぽくブラーがかかっていくなら、先ほど述べたような、りんだけがもってる愛情の表現ともつながります。

 

他には、エフェクトをアニメーションさせる方法。例えばりんが涙を拭ったあとで、わかばの言葉をさえぎって抱きつく。そのときの動きに合わせてエフェクトがアニメーションするなら、やり方によっては安っぽく映らないかと思います。いずれにしろ、何か二人が触れ合う表現にした方が良かったんじゃないかと思いますね。2Dアニメじゃないなら表情で表現するよりは、動きで表現したほうがいい。抱きつくりんのケムリクサをアップにして、そこにエフェクトがかかるとかでもいいんじゃないでしょうか。エネルギーは枯れかけているけど心は満たされているという表現にもなって、詩的じゃないですか。

 

 

わかばは「たらし」?

 

りんが言うところの「わかばの毒気」が他の人物にもうつっていくシーンがあります。

 

 

 

第4話。
わかば「りなさんは優しいですね。さっきの、りんさんりつさんを元気付けようとしたんですよね」
りな「な、ななな、そんなんじゃないな。なんだお前、調子狂うな」

 

 

 

第5話。
りん「姉さんが育ててるんだからな、当然だ」
りな「そうだな! わかばももっと拝むのな。褒めるのな!」
わかば「はい、ほんとすごいです! きれいです!」
りん「姉さん、少し赤いぞ? 大丈夫か?」
りつ「これが、毒にゃ?」

 

これはまあ他の人物の可愛らしい一面をコミカルに描く目的が大きいのでそれほど掘り下げるようなものではないかもしれませんが、どうせなら一工夫ほしいですね。

 

僕の意見としては「わかばには他人の心を深く読むことができる」描写に統一すべきなんじゃないか、というものです。だから第4話のりなとのやりとりはこれでいいですが、第5話もただ褒められて照れるのじゃなく、心の内に触れられてドキっとするやりとりにすべきだったのでは。例えば、わかば「みどりさんの成長が誇らしいって気持ち、僕にもわかります。嬉しいですよね、そういうの!」とか、なんでもいいんですが。

 

なぜその描写にすべきかというのは、こちらのほうが重要なのですが、11話でそれを活かすためです。導入の仕方はなんでもいいんですが、例えば、

ワカバ「そうだ、この前あげた絵本はどうだった?」
りり「あー… うん、面白かったよ」
ワカバ「そっか、ごめんね。今度はもっと、りりの勉強になるような本を持ってくるよ」
りり「え、どうしてりりの考えてること、わかるの?
ワカバ「りりは顔に出やすいからね

なんでこのやりとりを入れなかったんですかね。入れない理由がわかりません。

これだけで、先ほど言ったわかばの他人を理解する能力の説明にもなりますし、りりの顔に出やすい性質がりんへと継承されたことの説明にもなるわけです。もちろん、それが後で赤が暴走したときのワカバのセリフ、
ワカバ「気にしないで。僕のこと、気遣ってくれたんだよね。りりは優しいね」
を補強する意味にもなりますし、前に述べたりんが「チョロく見える」ことへの補強にもなって、一石何鳥になるかわからないぐらいです。もったいないなと僕は思うんですがね。

 

 

語尾はわざと

 

 

 

最終話、最後の戦いを終えた後の会話、

りな「っていうかりつねえね、もう最後だし喋り方も分けなくてよくないか?」
りつ「そういえばそうだねえ。んにゃあ、もう癖になってるからにゃあ」
りな「そうだな! ななななー!」

これ発想としては本当に面白いです。それまでアニメキャラとしての色付けと思われてた語尾が実は当人たちがわざとやっていた、というのはメタ的な仕掛けにもなってて、初見時は僕も「おお!」と思いましたね。こういうところはさすがです。

 

ただ

これをやるんだったら、やっぱりもう少し工夫がほしい。これも今作に限らず一般論として、「隠された設定を劇中で明かすなら、明かすだけの準備と驚きが必要」ということです。あくまで明かすなら、です。最後まで設定を隠してるならその限りではありません。

今回の場合であれば、語尾をつけてるのがわざとだと描写するには、人物が昂ぶったり動転しているときにそれを忘れるシーンが必要なわけです。これが描写されているのは第5話、

 

 

 

りん「な、お前何を!」
りつ「違うの、違うの、りん! 私、もう碌に戦えないのに、こんな、余裕のない中でこんな、私ばっかり好きなことしてていいのか気になってたから、ちょっとでも、みどりちゃんが役に立ったならって、ほっとして…」

ここだけはりつが語尾を忘れて喋ってます。これはいいんですが、ここだけなんですよね。ここだけだと、シリアスな場面で「にゃあ」と喋らせてしまうと見ている側の感情として取っ散らかる可能性があるので喋らせなかったという、作劇上の都合によるものとも解釈できるわけです。

 

なので少なくとももう1箇所、できればりなに語尾を忘れて喋らせるシーンがほしかったですね。それもりなっぽくない語尾の方がより良いです。なぜならこれも説明のためではなく、「あれ、今の語尾って、脚本のミスなんじゃない?」って思わせるぐらいじゃないと意味がないんです。そこまでやってこそ、それを最後に明かす価値が出てくるのです。

 

 

半端に消されたメモ

 

最終話でもりりの回想が少し入ります。りりはワカバが自身の肉体を賭してみどりを発芽させるために死んだ(ように見える)姿を目撃して、絶望します。

「うそ、そんな… ワカバは、もう…」
「そんな、じゃあ、意味が…」

りりは記憶の葉にロックをかけ、分裂後の自分に託すはずだったメモを消そうとします。

 

 

 

「このメモも、消しておかないと… わたしが、わたしたちが、知らない方がいい…」
「好きに…」

それが最期の言葉となって、りりは分裂します。

 

 

これはさすがに、脚本都合の展開と言わざるを得ません。まず「私たちの目的は…」と半端に消されたメモを用意するというところから逆算して、このシーンを組み立てたのでしょう。だからなんで全部消さなかったのかとか、メモ自体を消去、壊すということをしなかったのかというツッコミが入ってしまいます。

一番の問題は尺がなさすぎることです。11話が「わたしの好きは、ワカバを助ける!」というセリフで締めたにも関わらず、「ワカバが死んだ、じゃあメモ消さなきゃ」って一瞬で切り替わるって、それはあまりにも諦めが早いというか、囲碁で言うところの投げっぷりがいいというか、感情の変化として無理のあるテンポだと思います。じゃあなぜそうなったのかと言えば、最終話は他にも描かなきゃいけないことがたくさんあるからですね。詰め込んだしわ寄せがここにきてしまったということなのでしょう。しかしこのしわ寄せは看過すべきじゃないですね。

 

せめて。せめて11話のワカバのセリフ、
「好きなことして、楽しく生きて!」
をフラッシュバックさせるカットは入れるべきでしたね。ただそれをぎゅうぎゅうに詰めて入れても結局同じことなので、やはりあと30秒から1分くらいはこの場面に時間が欲しいところです。

 

11話ラストでわかばが串刺しにされて、12話冒頭ですぐ「いやー無事でした」っていう、このお約束の引きって要りますかね。まあやりたいならいいんですが、結局こういうことをして他の箇所にあってはならないしわ寄せがいくぐらいなら全部カットしたほうがいいと、僕は思います。

 

これも一般論ですが、「情報は詰めるテンポで質が変わる」っていうのも重要です。全部描いてるからはい、いいでしょ、とはならないんです。詰めていい場所と詰めてはいけない場所をしっかり見定める能力こそが、優れたアニメ演出家の絶対条件と言えるでしょう。

 

 

同人版との比較

 

たつき監督率いる『ケムリクサ』制作チームのirodoriは、2010年から2012年にかけて自主制作アニメーションとして『ケムリクサ』を発表、公開していました。これはアニメ版を見終わった後で見てみると実に興味深いです。もちろん同人アニメっぽい拙さ、特に音響周りが雑な面もあったりするのですが、僕はアニメ版よりもむしろ良いなという部分も少なくないなと思っています。

作品は公式にYoutubeで見ることができるので、まだ見てない方は一度まずご覧ください。全編後編に分かれてます。

 

自主制作アニメ 「ケムリクサ」(1/2)

 

 

まず4:24。りなこの最期のセリフ「元気でね」。これがなぜアニメ版で採用されなかったのか。これはまさしく先ほどの語尾をわざとつけてることとつながるわけですね。アニメ版のりなこの最期、
「りんねえねももっと好き放題したらいいのな。そしたら、ほら…」
こちらはよりテーマ性を前面に出した雰囲気になってますが、「元気でね」のほうが強いインパクトがありますし、変更するだけの理由を十分に伴っているとは思えないんですよね。これは同人版の方が良いと思います。

 

次に6:17。五人のりなが揺れているシーンです。これもいいですね。アニメ版でも、画面を華やかに見せるとしたらやはり動きのあるりなが鍵だと思うのです。もっと無駄に動く、ように見えてちゃんとそれぞれの人格の特徴を描写しているようなモーションを、あちこちに散りばめてほしかったですね。もちろんこれは手間がかかるので、現実的に厳しい問題だったのかもしれませんが。でもそれに見合った十分な効果をあげられるはずです。

 

8:50。キレるりつのシーン。アニメ版でのりつのキャラ設定の変更は素晴らしい判断だったと思います。目の下のクマがあるモデルが特徴的でいいですし、本来自分の分の水をみどりちゃんに与え続けているので自身が弱っているという背景も相まって、見事な「設定とモデルの一致」だと思います。

 

11:00。ここもりなたちがいい動きしてますね。数字を並べ立てるセリフも良いです。

 

13:18。このレイアウトは素晴らしいですね。これこそアニメ版に最も欠けている要素と言えるかもしれません。これが映像として豪華に、豊かに見せる工夫なんです。結局こういう積み重ねが見ている人の印象に直結していくわけです。

 

あと大きく違うのは、タイトルが『ケムリクサ』なだけあって、もともとタバコと同じデザインだったわけですね。それが姉妹たちの墓に使われていたり、虫が襲ってくるときに「このエリアは禁煙です。ここから立ち去ってください」という警告が出たり、いろんなものが有機的に繋がってるのがいいです。

僕は同人版のもつ、タバコならではの色気みたいなものが好きです。吸っているときの口元をアップにするカットなんかも映えますしね。まあしかし、当然アニメ版では海外への配慮なんかもありますから、タバコの意匠をそのまま使うわけにはいかなかったのでしょう。

そこでケムリクサにいろんな機能を持たせ、平面的な葉っぱのデザインに変更したのは良かったと思います。まあそういう順序なのかはわかりませんが。それに現在のirodoriチームの、『けものフレンズ』から続く3Dキャラクターのデザインは、色気を追求するような方向性とは相性がよくないので、このあたりの大きな変更は素晴らしい判断だったと思いますね。やはりこういう、全体をきちんと統括する力がたつき監督の魅力だと思います。

 

 

 

まとめ

 

 

 

今回この記事を書くにあたって当然『ケムリクサ』本編を何度も見返すことになったのですが、僕にとっては見返す作業そのものがそれほど楽しいものではありませんでした。それは冒頭に書いた「世界を解明する楽しさ」よりも、レイアウトの工夫のなさや、アニメーションとしての動きの楽しさが欠けていることの方が、どうしても気になってしまうからです。

もちろん、そういったことよりも、世界観設計やシリーズ構成、独特のキャラクターデザインの方がはるかに気に入って夢中になる人の気持ちもわかります。ただ僕にとっては、「良い画面を作る」努力は低予算・少人数体制であっても妥協してはならない最重要項目なんです。事実、手段がさらに制限されている同人版の方が画面作りとして優れている点もあることは先ほど紹介した通りです。

 

ただ、企画としての『ケムリクサ』は素晴らしいものだったと、心から思っています。これはこの制作陣以外では絶対に生まれ得ないもので、人を惹きつけるオリジナリティーを持っていることは誰にも否定することは出来ないでしょう。この点は本当に敬服するばかりです。

 

僕の最終的な『ケムリクサ』評価はBです。(評価基準