たまには日記以外の記事もということで、久しぶりに囲碁・将棋を取り上げましょう。
1週間前に朝日新聞のYoutubeチャンネルで、将棋の渡辺明名人(36)と囲碁の井山裕太名人(31)の対談動画がアップされました。対談自体は2020年末に行われたようです。この内容がとても面白かったので、単純にそれを紹介するだけです、今回は。なので動画を見ればこの記事を読む必要はないんですが、普段囲碁や将棋に触れていない人だと細かい内容などはわからないと思うので、その補足をしながら僕自身の備忘録としてつらつらと書いていこうと思います。
動画はこちら。
以下、動画の時系列順でいくつかのトピックを取り上げていきます。
囲碁観戦に来ていた渡辺名人
3:20〜。そもそもこの対談が実現するきっかけとして、少し前から囲碁の勉強をしている渡辺名人が昨年夏の囲碁の名人戦(芝野対井山)の観戦に来ていて、そのときに趙治勲名誉名人と囲碁・将棋の同時対局をやっていました。動画はこちら。これもとても面白かったですね。序盤はお互い順調に両方やってるんですが、予想通り趙治勲がだんだん将棋の方ばかり考え出して囲碁の方が進まなくなるのが見どころです。
またこのとき新聞解説の高尾紳路九段と解説動画にも出演しています。動画はこちら。これも必見ですよ。二人は競馬友達でずいぶん前から付き合いがあるようですが、共に軽妙な人柄なのでトークが面白いですね。高尾九段は僕も大好きな囲碁棋士の一人です。
将棋棋士は多趣味な人が多いなあと個人的には思うのですが、渡辺名人も例に漏れず、というのがよくわかりますね。
序盤の時間の使い方の変遷
4:20〜。先ほど挙げた動画の中でも、高尾九段が「藤井聡太さんの序盤の時間の使い方を見てると、若い頃の井山さんをすごく思い出しますねえ」と語っていますが、これは囲碁・将棋ともに全体的な傾向として、序盤に時間をかける人は減ったというお話。もちろんこれはAIの登場による影響です。
昔は「どう打っても一局」だったからこそ最初から時間をかけて考える人が多かったわけですが、今では序盤研究を怠るとそこでもう勝負がついてしまうほどシビアな状況になってしまったので、皆事前準備を徹底しているために改めてその場で考える時間は減ってきたわけですね。またそのために序盤研究で差がつきづらくなっているので、なおさら終盤に時間をとっておきたい、というわけで時間のバランスをとるのが重要な時代になったということです。
にもかかわらず序盤からどんどん時間を使っていく藤井聡太が恐ろしい、という話ではあるんですけどね。
先後の勝率差
9:25〜。今回のこの記事では「囲碁と将棋の違いは何か」を一つのテーマにしたいと思っているのですが、これがまさに大きな違いの一つですね。渡辺名人は「先手後手の勝率は将棋だと一割くらい違うんで」と言っています。実際渡辺名人の個人成績を今調べてみたら先後の勝率ギャップが0.108ということで、確かに一割の差になっています。将棋界全体としては先手勝率が52〜53%くらいのようですね。
一方で囲碁の方は先後、つまり黒番白番の勝率差はほとんどなく、井山名人の個人成績も動画の中で0.719と0.718ということでほぼ同じです。
コロナ禍での公開対局
14:25〜。
井山「まあ単純に暇だったというのが一番ですけども笑」
これも囲碁と将棋の、というよりそれぞれの棋界の気風の違いがよくわかりますね。
ただ僕としては、これはナショナルチーム的な意識とかではなく、世界の囲碁界全体が開かれた意識を持っているんだと思っています。特にAIが発達してからはなおさらですね。中韓のトッププロは大会じゃなくてもネット碁をしょっちゅう打っていますし、その棋譜は誰でも見ることができます。トップレベルになればなるほど戦法を隠しておこうなんていう意識は全くないように僕には思えますね。そんなことが無意味なほど日々の研究状況が目まぐるしく変化しているからです。
AIの研究とその伝播スピードから誰も逃れることができない以上、将棋界も今後少しずつそういう風になっていくのでは、と個人的には思っています。
トップでいられる限界年齢
19:25〜。一般的にタイトル戦に出られる最後の年齢は40代半ばくらいなのは囲碁でも将棋でも変わらないという話。渡辺名人は数年前に調子を少し落としていたときからその限界年齢を意識し始めたと言います。「どういう風に調子を戻していったのか」という井山名人の質問に対し、
と非常にぶっちゃけた答えで笑ってしまいます。
それはさておき、以前の記事でも書いたとおり、今の囲碁・将棋界は一般的なプロスポーツと同じかそれ以上に年齢の壁が厚い世界なので、40歳を過ぎてなおトップレベルで活躍している棋士の人は本当にすごいんです。50歳を迎えた羽生さんの通算タイトル100期を期待している人は僕を含めて大勢いますが、それは想像を遥かに上回るほどに険しい道のりなのです。
AI研究が広まった時期
27:30〜。
井山「それはあるでしょうね笑」
渡辺「僕がタイトル戦に出始めた頃だと、やっぱり先輩が顔で圧倒するようなところがあったと思うんですけど、今や全然そういうのはないですよね」
井山「そう、今までだったら自分が打った手はある程度良い手だとされてきたのが、だんだんそうじゃないというのがバレてきましたね」
ここらへんのやりとりは面白いですね。実際、井山名人がタイトル戦に出てるときの大盤解説で、「これは普通の人が打ったら怒られる手ですよ。でも井山さんが打ってるから……」というフレーズは実にあるあるです。我々の日常においても、「何を言ったかではなく誰が言ったか」に左右されることはよくあることですから。
三々定石の革命
32:50〜。Googleが開発した囲碁AIのAlphaGoがもたらした最大の革命がこの三々の定石でしょう。元々の定石は囲碁を勉強する人が初めて覚える定石の一つで、基礎の基礎というか、定石の王様みたいなものだったんです。ところがこの定石そのものも、定石に対する考え方も、AlphaGoによって一気に塗り変わってしまったわけですね。
これまでに定石に関する本を執筆・出版してきた人たちは頭抱えたと思いますよ。一気にその内容が古くなってしまったわけですから。あとは地方の碁会所で子供達に指導してる人たちも大変でしょうね。それまで当たり前のように指導してきたことが、急に「えーでもプロの人はみんなそんな風に打たないよ」なんて言われるわけですから。なぜその定石の評価が変わったのかをきちんと説明するにはかなり高い棋力が要求されるので、まあ大変な時代だと思いますね。
いやもちろん、初心者向けの簡単な問題集や、正解のはっきりしている詰碁なんかは今でも通用しますが、特に上級者向けの序盤定石なんかはほとんど通用しなくなってしまったでしょうね。その考え方自体は参考になるにしても、もはや誰もそこから勉強を始めることはないわけですから。まあ世の参考書なるものは常にアップデートされていくので、それが当たり前っちゃあ当たり前なんですけどもね。
井山「そうですね。将棋では、今までダメだとされてきた手が見直されて、というのはないんですか」
渡辺「うーん、(記者に向かって)なんかありました?笑 一番影響受けたのって角換わり▲4八金型、ですか。でもあれって昔からあるし、大して変わってないし。もちろん序盤で曖昧にしかわからなかった所が点数化されることで厳しくなったというのはありますけどね」
AIから受けた影響面でも、囲碁と将棋の違いがありそうですね。僕は将棋の方は全然詳しくないのでわからないのですが、渡辺名人の話ぶりを聞く限り、個別の特定局面の研究がどんどん先鋭化していってるような印象を受けます。それが意味するのは、個人がその個別研究を網羅するのはほぼ不可能であり、そうなると先述した「戦法を隠す」ことにも意味が生まれてくる、というわけですね。興味深いところです。
ひふみんアイ
44:40〜。なぜ囲碁は右上から打ち始めるのか、という渡辺名人の疑問から、局面を逆方向(相手側の視点)から見たくなることはないのかという話へ。
井山「自分はあんまりやらないですけど、記譜をもらって逆から見る、という人はたまに見ますね」
このひふみんアイが流行してから、囲碁の解説番組でも盤面をひっくり返してみる場面を何度か見たことがあるんですが、自分が覚えてる限り解説者は全員「別に変わんないね」と言ってましたね。もちろん僕くらいの級位者・低段者だと見慣れてる形じゃないと戸惑うこともあるでしょうけど、ある程度のレベルまでいけばそういうこともなくなると思います。
最強の手
49:30〜。
井山「いや、明確に最後まで見通せてるなら地合いで行く手を選ぶこともありますが、秒読みに追われてる中で正確に計算するのがそれほど得意でもないので。なので最強というよりは、自分が一番良い手だと思う手を選ぶ、のが比率としては多いのかなって。ただ囲碁の場合、「これくらいでいいか」というのが積み重なっていくと、それほど形勢に大きな差が開いているわけじゃないので、決めどきに決めておかないと後々苦労するってことはよくありますね」
渡辺名人が言う通り、これもまた井山あるあるの一つです。普通、ある程度形勢に差がついてるなと判断できる場合はプロの碁であっても多少緩んだ手を打つものです。緩いというのは油断ということではなく、安全に行くという意味です。これを専門用語で店じまいとか勝ちました宣言などと言ったりしますが、井山名人の場合はそこで緩まないんですね。「最強」というのは相手に対して最も厳しい手という意味であって、必ずしも「最善」を意味するわけではありません。なのでそれが無理筋な場合、逆に形勢を悪くする危険が伴うわけです。
僕は「さすが頂点に君臨する人は自分に対して常に厳しくなきゃいけないのか」と解釈していたのですが、一応「決めどきを逃さない」という理屈はあるみたいですね。まあどこまで本心かはわかりませんが。しかしこの厳しさがないと世界戦では渡り合えないというのは間違いないと思います。
早指しと年齢
53:35〜。先ほどの限界年齢の話題とも被りますね。
渡辺「それはありますね。ああもう全然読めてないなと思うことはよくあります」
井山「やっぱり若い人の方が有利ですか? 将棋でも」
渡辺「一般論としてはそうですよね。でも実際、40代の人が優勝したりして。だから自分でも読みの精度が落ちてるなと実感しているくらいなのに、そういうのを見ていると「おっかしいなあ」って笑」
これがまさに前回の記事で紹介した、NHK杯の羽生世代同窓会ってやつですね。いやもう本当に信じられないことですよ。これに憧れを持つ気持ちはあっても一般化しては決していけません。例外中の例外と認識すべきでしょう。
早指しに対する渡辺名人の開き直り方が面白いので、これは是非動画でご覧ください。
中韓の棋風の違い
1:06:50〜。
井山「以前は国によって棋風とか流行とかの違いはちょっとあったと思いますけど、今は特にAIが入ってきてからはなくなってきましたかね」
渡辺「中韓のプロの棋譜って、みなさん見るんですか?」
井山「自分はかなり見ますね」
渡辺「そしたら忙しいですね。国内の棋譜も見て、そっちもとなると」
井山「いやむしろ……国内のはあんまり……いや見てないと言ったら語弊はあるんですけど笑」
渡辺名人に引きずられてなのか、井山名人も少しぶっちゃけるようになってきましたね。しかしこれは当然のことだと思いますね。トップレベルの研究スピードは日本と中韓では明らかに差があるでしょうから、そちらに軸を置くのは当然のことだと思います。
ここで僕の適当な所感をまとめておくと、おそらく囲碁では特定の相手に対する対策はあまりやらないのだと思います。それよりは全体的な潮流や新手の解析などを中心に研究しているのでしょう。一方で将棋は、少なくとも囲碁よりは特定の相手に勝つための研究がなされてるように思われます。相手があまりやらない戦法で攻めたり、弱点を探ったりというような方向の研究にも、ある程度重きが置かれてるのではないでしょうか。
渡辺「そういうトップレベルで打てる相手がいるのはいいですね。僕らだと対等にできるのはプロ棋士しかいないし、AIとやってもしょうがないから。ネット上で手当たり次第に指す、ってことはないですからね。いやでも15秒だったら、もう直感ですよね」
井山「それでも精度が高いですね、中韓のトップは。慣れてるというのもあるんでしょうけど」
これが中韓の棋士の恐ろしい所なんですよね。とにかくあらゆるスピード感が違います。年齢も若いし、対局時間も短い。世界戦では最長でも持ち時間3時間なので、逆に日本の2日制でじっくり打つ碁に憧れる人もいる、というのも聞いたことありますが。とにかく、前回の記事で書いた、井山名人含む日本の棋士が世界戦に対応する難しさというのがここにあります。このスピード感に合わせるための調整が難しいんです。
女流棋士
1:22:15〜。
渡辺「それよくあるテーマなんですけどね。よくわかんないですよね」
井山「囲碁の方でも女性だけのリーグでプロになる制度はあるんですけど、一度プロになってしまえば女流棋戦だけじゃなく一般棋戦も全て参加できるので、男性と戦える機会が多いというのは大きいのかなって思いますけど」
渡辺「でも藤沢さんとか上野さんとかって、小さいときから強かったわけですよね」
井山「強かったですね」
渡辺「だから小学生のときから(奨励会の男子にも負けないくらい)すごく強いっていう女性は出てこないですよね」
これが囲碁と将棋の違いの中でも個人的には最も大きなテーマというか、むしろ人生のテーマと言ってもいいくらい興味がありますね。
まったく事情を知らない人向けに多少説明しますと、囲碁でも将棋でもプロ棋士の中での女性比率が非常に低いのは共通しているのですが、実力的にはかなりの開きがあります。囲碁の方ではトップレベルの女流棋士は棋士全体で見ても強いですし、中韓の女流トップレベルとなると果たして日本の男性棋士で対等に渡り合えるのが何人いるのかというレベルで強いです。日本では英才特別採用推薦棋士第1号として弱冠10歳にしてプロ入りした仲邑菫二段が特に注目されています。「特別枠かよ」と思われるかもしれませんが、実際彼女は通常のプロ試験を通過した同期の棋士の中で最多勝率を挙げていて、碁の内容からしてもめちゃくちゃ強いです。
一方で将棋の方は、奨励会の三段リーグまで進んだ女性はこれまでも何人かいて現在も在籍しているのですが、そこを勝ち抜いてプロ棋士になった人は未だに一人もいません。将棋界の女流プロ棋士は全員女流棋士制度の中でプロになった人であって、女流棋士は一般プロ棋戦には参加資格がありません。囲碁とはだいぶ状況が違うのがわかると思います。
なぜここまでの違いが生まれるのか。これまで数多くの仮説や見解が生まれてきたわけですが、どれもしっくりくるものではありません。この対談では「男性棋士と戦う機会の多さ」を一応の結論としていますが、それだと渡辺名人の言う通り、幼少の頃からプロレベルの才能を発揮する女子が現れないことの説明にはなりません。
よく言われるのは「囲碁は感覚で打つ」というものですね。序盤の布石では「どう打っても一局」なので、「なんとなく良さそう」という感性は男女差がないのでは、という見解ですね。これはもちろんあると思うのですが、ここまでの長ったらしい文章をご覧いただければ分かる通り、今やAI時代に突入したわけです。序盤の布石から徹底した個別研究が日々進められていて、「なんとなく良さそう」で打つのでは到底勝てないわけです。現に女流棋士の棋譜を見ても、非常に精密なAI研究に裏打ちされてるのがわかります。
にもかかわらず世界的に女流棋士の活躍がめざましいのを見ると、果たしてどうなんだという話なわけですね。「どこまで行っても最終的には感覚だ」というのはわかりますが、じゃあ将棋には感覚的に指すことが全くないのか、って話になりますからね。
まあ僕は人生のテーマと謳っているくらいですから、一応自分なりの見解はあります。それは記憶に関する男女の性質の違いですね。「膨大な情報をデータベース化して整理する」という脳の作業は男の方が得意なのではないか、というのが僕の考えです。一般的に、幼少の頃に車や電車や昆虫なんかの細かい違いを網羅的に把握してデータベース化するのが好きなのはやっぱり男の子の方が圧倒的に多いでしょうし、同じジャンルのものを蒐集したがるのも男性的な傾向だと思われます。
僕はいわゆる「受験学力」には男女差はまったくないと思っているので、これは単純な記憶力とか暗記力の話ではありません。記憶の中の細かい違いに自分の印象なり見解のラベルを貼り付けて、それを整理する能力とでも言えばいいでしょうか。その能力が囲碁よりも将棋の方で重要になってくるために棋力差が生まれるのではないか、というのが僕の考えです。
割とこの見解には自信があってこれまで色んな人にも話してきたんですが、ただこれもやっぱりAI時代になって少し自信がなくなってきましたね。あとは、奨励会三段リーグの特殊性もひょっとしたら関係あるかもしれません。僕は詳しくありませんが、例えば前回の記事で紹介したような奨励会に在籍していた人の書籍を読んだり、今だと元奨励会のYoutuberも何人かいるのでその人たちの話を聞いたりすると、三段リーグの将棋はまったく別物だと。とにかく相手を苦しませること、相手の勝ちの目を潰すことだけを考えて、自分の指したい手をのびのび指すなんてことはありえない、というのをよく見聞きします。そうしたドロドロの過酷な世界が女性には向かない、という可能性もあるかもしれません。
まあとにかく本当にこの話題は難しく、興味深いです。また新しい考えが浮かんだらここで披露したいと思います。皆さんも是非ご意見をください。
一流と超一流の差
1:26:50〜。「トップ同士のギリギリの勝負を勝ち切ることが出来るのは一体なぜなのか」という記者の質問に対して、渡辺名人は「まあそれが実力なんじゃないですか」という身も蓋もない回答。
まあこれは残酷なこの世の真理ってやつですね。ピンポンのあの名場面を思い浮かべずにはいられません。
アクマ「どうしてお前なんだよ! 一体どうして! 俺は努力したよ、お前の10倍、いや100倍、1000倍したよ! 風間さんに認められるために、ペコに勝つために! それこそ朝から晩まで卓球のことだけを考えて、卓球に全てを捧げてきたよ! なのに!」
スマイル「それはアクマに卓球の才能がないからだよ。単純にそれだけのことだよ。大声で騒ぐほどのことじゃない」
魂が震える名シーンですね。一体何の記事かわからなくなってきたので次にいきましょう。
感想戦の変化
1:35:15〜。AIの一般化によって対局後の感想戦が様変わりしたという話。囲碁の方では解説者の人がPCを持ってきてAIの手順を示したりすることもあるというのに対し、「将棋の方ではまだそこまでではない」という渡辺名人。
一同「笑」
渡辺「わかんないからちょっと様子を伺って笑。「それってAIの手ですか」って訊くのも失礼じゃないですか。いや稀にそれがその先生の手のときがあるんですよ。で後から「なんだよこれ全然ちげーじゃねーかよ」ってことがあるんで、困るんですよ」
これは本当に笑ってしまいましたね。恐らくこういうことってかなり多くの人が経験してるはずなんでしょうけど、ここまでズバズバと話せる人も渡辺名人くらいなんじゃないですかね。
まあ外野からの勝手な見解を申すならば、もうこんな時代で失礼もクソもないんだから、検討中に微妙な空気が流れるくらいだったらとっととその場でAI解析を始めるべきだと思いますけどね。というかいずれそれが当たり前になるときがすぐ来るでしょう。それこそ中韓の囲碁棋士だったらその場でAI解析するか、しないんだったら対局者同士の検討をさっさと切り上げて自分でAI解析する、の二択でしょうね。
というわけで、以上で対談動画の紹介と補足は終わりです。約1万字の文章を読んで頂いて、お疲れ様でした。
まあ改めて渡辺名人の率直な語り口は良いなと思いましたね。こういう部分は好き嫌いの分かれるところでしょうけど、僕は非常に好感を持っています。囲碁・将棋ともにAIの導入による大変化は一旦の落ち着きが見られる感じですが、これからどうなっていくのかは目が離せませんね。