7、8月のバカンスが終わり、いよいよ今月から日本でいうところの新年度が始まります。というわけで、パリ管のシーズンオープニングコンサートへ行ってきました。
実は今、僕と同じアパートのハルカくんの彼女が日本から遊びに来ているのですが、彼が「一度でいいからフィルハーモニー・ドゥ・パリの中に入ってみたい」と前々から言ってたので、二人を誘って今回のコンサートへ行ったのです。
1. ワーグナー: ローエングリン序曲
2. ワーグナー: ヴェーゼンドンク歌曲集
3. ラヴェル: ダフニスとクロエ 第2組曲
4. バルトーク: 管弦楽のための協奏曲
このプログラムをご覧いただくと、選曲のバランスが良いし、ワーグナーの歌曲以外はあまりクラシックに馴染みがない人でも楽しめそうな感じしませんか。なのでこれだったらと思って誘ってみたんですよね。国も年代も違ってバラエティに富みつつ音楽史の変遷を辿れる、オープニングコンサートにふさわしいプログラムだと思います。
まず目を引くのがKarina Canellakis、女性指揮者です。オランダ放送交響楽団の常任指揮者、ベルリン放送交響楽団の首席客演指揮者などを務めています。新作を振るとき(作曲者自身とか)以外で女性指揮者の演奏を生で聴くのは初めてかもしれませんね。それぐらい珍しいです。僕の感覚では割合として1%いるのかどうかぐらいなんですが、実際はどうなんでしょうね。いずれにしろ、そんな厳しい世界を生き抜いてる訳なので、女性指揮者というだけでエリート中のエリートだということです。
1曲目はまずまずの序曲、次の歌曲はソプラノがDorothea Röschmann、非常に安定感があり技術の確かさを示す一方で、繊細な表現もまた絶妙なとても良い歌でした。この作品はもともとピアノ曲で、最後の『夢』だけはワーグナー自身がオーケストレーションを手がけた(つまり他の曲は違う人がやった)のですが、やはりこれがピカイチで良かったですね。まさに夢の中をたゆたうような弦楽器の波が見事でした。
ステージ後ろの客席に合唱団が待機してますね。これが3曲目ダフニスとクロエの合唱団です。始まる前にハルカくんに、「ワーグナーとラヴェルは生まれた年代が60年違うんだけど、19世紀における60年の違いというのはこれだけ大きなものなのか、って驚くと思うよ」と言いました。この作品が完成した1912年の前後にはマーラーの第9番やストラヴィンスキーの『春の祭典』などがあり、音楽史の中でも極めて大きなオーケストラの革命が起きていた時期でもあります。(その次の革命が1931年の『イオニザシオン』でしょうかね?)
今改めて聴いてみても古臭さをまったく感じない洗練されたオーケストレーションで、ラヴェルの偉大さを再認識させられます。演奏は指揮者の彼女の持ち味であるうねるような音の波を作るアーティキュレーションが面白かったです。もちろんやりすぎると下品になるのですが、この作品にはとても合っていました。合唱も前面に出過ぎず後ろを支えるバランスでちょうど良かったですね。ちょこっと出てくるヴィオラのソロもとても良かったです。
さて休憩明けはいよいよ目玉のバルトーク。この作品は大学オケなどのアマチュア演奏団体でも大変な人気があって、オケコン(オーケストラのためのコンチェルトの略)の愛称で知られています。とても馴染みやすい作品なので、一度ぜひ聴いてみてください。ハマる人は結構多いと思います。
僕自身、この作品が全てのオーケストラ曲の中でも5本の指には入るくらい好きです。もっとも大きな理由としては、これこそがオーケストラが進化していく道筋を示していると僕は思ってるからです。オーケストラと室内楽の違い、つまり「指揮者のいる演奏」と「指揮者のいない演奏」の違いは何なのか、その中間地点には何があるのか、その答えの一つがこの作品だと思うのです。同様の発想を持って作られたストラヴィンスキーの『ハ調の交響曲』も、僕が最も愛する作品です。これは本当に難しくて深い問題なので、続きは場を改めましょう。
まあとにかく僕はこの作品をほぼスコアを覚えてるくらい聴いているのですが、生で聴くのは数年ぶりだったので楽しみでした。そしたらちょうどハルカくんの彼女に、
「もう既に知ってる曲を聴くときって、どんな風に聴いてるんですか?」
と訊かれました。良い質問ですね。このときはそれっぽく言葉を返したのですが、実際これだけで一本記事を書けるくらい面白いテーマなので僕の回答はまた別な機会にしましょう。(でたー)
まあせっかくなので皆さんもちょっと考えてみてくださいな。
さて実際の演奏ですが、まずテンポが早いし休符が短いですね。僕が好きなCDだと第1楽章の冒頭はどっしりと構えて休符も十分にとってる方針だったので、それと比べるとかなり違います。
この指揮者の彼女は、ステージ上での振る舞いと演奏の仕方が見事に一致しているんですよね。例えば演奏が終わって拍手している間に、その作品で目立った楽器の奏者を立たせるアレありますよね。彼女はその回しがメチャクチャ早いんです。「フルート立って〜、ハイもういいよ次クラリネット〜、次トランペット〜金管全員〜、ほら打楽器〜」って感じで、ノンストップで回していくんですね。その後ビシッとおじぎをして颯爽と去っていくんです。
まあそれはそれで格好いいのはそうなんですが、演奏の仕方もそんな感じなんですよね。「間」というものがほとんどない、ここはたっぷり聴かせようという箇所もほぼ全くありません。そうすると、まあ盛り上がる終楽章なんかは良いにしても、例えば4楽章の明らかなパロディ風のあの場面でも、あんまりパロディっぽく響かなくなっちゃうんですよね。2楽章のリタルダンドによる崩れもほぼなく、そういうリズム上の起伏に乏しいのが残念です。ブーレーズが振ってもそんな感じです。一方これをバーンスタインなんかにやらせるとほんっっとに見事なものですよ。
「もうこの作品有名なんだしそういう時代じゃないし、そんな一生懸命パロディやっても寒いじゃん」みたいなのはわからんでもないですよ。そりゃね。その意味では彼女の指揮というのは確かに「現代的」なるものの象徴のような感じです。なんですが、その結果新しい魅力を引き出せているわけでもないし、ただ単に元々あった魅力というのを削いでるだけにしか感じられないんですよね。「決まった流れ、ある程度予測がつく流れであってもそれをキッチリ決める」技術というのはお笑い芸人にとって非常に重要な能力じゃないですか。僕はこれもくりぃむしちゅーから学んだことです。「わかってるのに笑ってしまう」というのをナメてはいけませんよ。本当に大事なことなんですから。
これは音楽においても全く全く同じことで、押さえるべきツボを逃さないことは演奏でも作曲でも常に重要です。今回の彼女の指揮からはそういう心遣いをほとんど感じられなかった、というのが僕の率直な意見です。ラヴェルで披露したオーケストラを操る力は確かに見事で天才性を感じさせるものでしたが、「大作を構成する力」も指揮者にとっては同じぐらい重要です。まだとても若い彼女が今後それをも達成したら本当にすごい指揮者になるでしょうね。
ちなみに演奏面においてはファゴット(バスーン)がものっすごく良かったです。久々に恍惚としてしまうバスーンを聴きました。過去に聴いたバルトークの中では圧倒的に素晴らしかったですね。いやー是非また聴きたい。
まあとにかく、充実したオープニングコンサートだったことは間違いありません。一緒にいたハルカくんも、「なんかようわからん瞬間もありましたけど、とにかく圧倒されました」と言ってたので、きっとそれなりに感動を味わえたのだと思います。本当はもっと明瞭で丁寧なバルトークだったら良かったですけどね。