明けましておめでとうございます。昨年はたった3本しか記事がなく、ほとんど死に体となってしまった当ブログですが、今年は最低月1本くらいは更新していきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。
さて挨拶もそこそこに本題へ参りますが、遡ること2013年の10月に、P.A.WORKSのオリジナルアニメ作品『凪のあすから』が始まり、2クールにわたって放映・配信されました。ということは、昨年の10月で10周年を迎えたということになります。おめでたいですね。
そしてそれを記念して、P.A.と縁の深い株式会社インフィニットのYoutubeチャンネルで、元旦から『凪あす』全26話の一挙配信を行う予定でした。しかしご存知の通り、まさにこの配信予定時刻の直前に能登半島地震が発生し、当然配信どころではなくなり中止となりました。そもそもP.A.WORKSの本拠地が富山県なので、まずスタジオそのものがどうなったのか心配になるところなのですが、公式発表では大きな被害はないということで、それに関しては本当によかったと一安心しました。
そしてこの度、1月13日から改めて一挙配信が決定しました。
そんなわけで今回の記事は「凪あすをみんなで見よう!」というだけで終わらせてもいいんですが、それだと物足りないですよね。「そもそもこの作品は面白いんか?」と思う人もたくさんいることでしょう。
結論から申し上げますと、『凪のあすから』はとてつもない傑作です。今まで見たシリーズアニメの中で「魂の傑作」として1本選ぶなら? と問われるとさすがに選びきれずに非常に困ってしまうのですが、おそらく今後僕が死ぬまで、凪あすが5本の指から漏れることはまずないだろうと確信できるくらいには、素晴らしい作品ですし僕は心から愛しています。
さてここから『凪あす』の魅力を語っていくわけですが、この作品、ネタバレなしで語るのは非常に難しいです。既に見たことある人は首がもげるくらい頷いてくれていることでしょう。カクンカクンカクン。というのは、序盤を見た段階では想像もしなかった展開が後半に待ち受けているからですね。しかしだからと言って「何も言わずにとにかく見てくれ!」では何も伝わらないので、ネタバレなしでも伝わるように僕なりの見解に基づいた魅力というのを語っていきたいと思います。
ざっと箇条書きするとこうなります。
②シリーズ構成の巧妙さ
③物語のスケールの壮大さ
④普遍的なテーマへの挑戦
まず①世界観設定ですが、凪あすは「海に住む人間と陸に住む人間とが分かれていて、その両者の交流を描いた作品」です。この時点で、「海に住む人間の生活とは?」という疑問が出てくるわけですが、それをどう描くのかがまさに世界観設定の最重要ポイントになります。
これについては、第1話のオーディオコメンタリーで篠原俊哉監督はじめ首脳陣が企画の経緯を話しています。非常に重要かつ非常にためになるお話なので少し引用します。永谷はインフィニットの永谷敬之代表、辻は辻充仁プロデューサーです。
これですよ。これこそが企画が生まれる瞬間なんです。アニメに限った話ではありませんが、どんな集団制作でも、まず予算やスケジュールといった基礎条件を土台にしながら、「実現させたいイメージ」と「全体をまとめるための設定」の間でどのようなバランスを取るかで議論を交わし、時には出発地点のアイデアを捨て去るところまでいきつつ、もう一度「キカクのカク(企画の核)」が何だったのかを思い起こし、新たな実現可能性を探る。この道筋が集団制作の一番の醍醐味ですよね。
そして基礎条件の制約の中で最も実りあるゴールを設定し、そのために最も効果的な手法を編み出し、かつそれを他人に託しながら実現する。これはどの分野においても「監督業」に立つ人の理想とすべき能力と言えるでしょう。篠原監督は、周りの助けを借りながらも、実に見事にそれをやってのけたと僕は思っています。
こうした模索の中で、果たして『凪あす』が採用した世界観設定はどのようなものなのか? それは是非第1話をご覧になってください。冒頭でいきなりそれが明かされます。僕としては『凪あす』の設定はP.A.にとって最良の道を選んだと思っています。無限にある企画アイデアの中から最良を選び抜いた、ということです。これがどれほどすごいことか。オリジナルアニメというのは「企画」こそが作品の成否を決める分水嶺になっていて、そこでもう作品がコケるかどうかが決まってしまうくらい、重要な工程なんです。その最初の大事なステップを、凪あすは100点満点で駆け出した、ということです。
さて次に②シリーズ構成の巧妙さですが、これはもう岡田麿里が最高の仕事を果たしたというのに尽きます。アニメファンの間では毀誉褒貶ある彼女ですが、この『凪あす』の仕事一つを見るだけで、彼女がどれだけ卓越した脚本家であるかがわかります。シリーズ全体を通して完成度の高い物語を築くだけでなく、ちゃんと各話での「続きが見たくなる引き」をきっちり作り込んで、長時間の映画作品ではなく、シリーズ作品としてのアニメの面白さを高いレベルで実現させています。
キャラクター造形も見事で、それぞれの人物が魅力的に描かれているのですが、なんと言っても主人公の光が良いですね。第1話ではそれはもう典型的なクソガキとして描かれている彼ですが、身の回りで起こる数々の出来事や大人たちとの折衝の中で、彼がどうやって成長していくのかが物語の大きな柱の一つになっています。感情豊かな光の行動原理は常に明確で、しかし簡単には割り切れない現実を前にしたときには戸惑いが生じ、けれどそこで勇気を持って決断し行動を起こしていく姿に、見ている側は胸を打たれ、いつの間にか彼を好きになってしまうように、描けているわけですね。これこそが正しい「感情移入」の原理だと僕は思います。そしてそれをちゃんと計算して物語を構築している岡田麿里はやはり優れた脚本家であると思います。
次に③物語のスケールの壮大さですが、僕としてはこれこそが凪あすの最大の魅力と言えるかもしれません。この作品のキーワードとして、公式でも「御伽噺」という言葉を使っていますが、僕としてはどちらかというと「おとぎ話的」というより「神話的」と言った方がしっくりきます。第1話からこの物語の背景にある神話が登場しますが、これはただのエッセンスではなく本当に物語の骨格になっているんですね。凪あすのストーリー自体は「(ある種ありふれた)思春期の男女の恋模様」をベースにして進んでいきますが、それが歴史的・神話的な背景と見事に結び合わさっているのがすごいところです。そしてなんと言っても、第13話で前半が終わり、第14話から後半が始まった瞬間、スケールの壮大さを感じない人はいないでしょう。もう一度時を戻せるのなら、あのときの「うわ、そう来るのか」という衝撃を、また味わいたいものです。
そして最後に④普遍的なテーマへの挑戦ですが、結局のところ、『凪あす』は「人と人との愛についての物語」であると言えます。それはイヤな言い方をすればすなわち、「そんなありふれたテーマ、他の作品とそんなに違わないんじゃないの」と言われてしまう可能性が十分あるということです。
しかし多くの作品はそこを開きなおっているわけですね。本筋自体がありふれたものであったとしても、今までになかった(あるいは最近はあまり見なくなった)設定や導入の仕方一つで、見ている側には十分新鮮な印象を与えることができるからです。じゃあ『凪あす』もその一種なのかと言うと、僕はそうは思いません。『凪あす』は真正面から愛というテーマに取り組み、この作品じゃないと描けないやり方で独自の答えに辿り着いている、と僕は評価しています。これは先述した神話的な物語との結びつきも深く関わってきます。「そんなの本当かよ?」と疑うなら、全話見なきゃいけないですよね。
といったところで、『凪あす』の魅力をネタバレしない範囲で語るならこんなものでしょうか。
さて今回の記事タイトルに【凪あす10周年企画①】とあるように、『凪あす』の記事シリーズをこれからも何本か書いていく予定です。というかそもそも今回のタイトルは当初「完璧な第1話を分析する」にしようと思っていたのですが、ここまで書くのにえらい長くなってしまったので、第1話の細かい話は次に回そうと思います。
繰り返しになりますが、インフィニットのYoutubeチャンネルの配信は1月13日の12時から1週間限定になります。時間のある方は是非最後まで見てみてください。
最後に一つだけ注意点を。今回の配信はプレミア公開になっているので、もし配信開始してから数時間のうちに動画を見ようとすると、動画を開いた瞬間に後半部分のエピソードのとんでもないネタバレを不意打ちで喰らう可能性が十分あります。なので、急いで見たい方は画面を見ないようにしながらシークバーを一気に左へ持っていってから見てください。急がない人はプレミア公開が終わった後で見るといいでしょう。
また別件ですが、ちょうど今同じインフィニットのチャンネルで『花咲くいろは』のチャリティー配信をやっていて、動画の収益がそのまま震災義援金に充てられるそうです。配信期限がいつまでなのかは今のところわからないですが、時間があればこちらもご覧になってみてください。