5月11と12日に、パリ北部にあるCentquatreで行われたアクースモニウムのコンサートへ行ってきました。この施設は初めて来たのですが、おそらく総合文化施設みたいなものだと思います。
わかりづらいですが白字で104(これがフランス語でCentquatre)と書かれていますね。結構大きな施設で、中央のエリアが天井も高く広々としていて、週末だったのもあってか、多くの人がダンスやらヨガやら大道芸などの練習をしていました。
そして周囲に展覧会のできるスペースやコンサートスペースなどがある感じです。
前回のデジャビュじゃないですが、初日がまあ退屈なもので「またか…」と後悔に苛まれていたのですが、翌日の作品だけは良かったのでまあギリギリよしとします。
コンサートスペースはこんな感じ。中央にミキサー卓があって、周囲四方向に客席。その背後にそれぞれ2つずつスピーカーと、部屋の角にも4つ、そして中央の木の枝のような小型のものと、天井から十数個ほど中型のものがぶら下がってます。
これは初日の1曲目ですぐに気づきましたが、スピーカーの性能があまりよろしくないんですよ。音の解像度が低いしノイズが常に出てるし。まあこれはスピーカーそのものだけじゃなく技術的な問題があったのかもしれませんが。とにかくラジオフランスなどで聴くのとはだいぶ格差がありました。
何が退屈だったかというと全部無駄に長すぎるのがまずよくないです。2曲目だけ20分と書かれていますが、それ以外は30分近くかそれ以上のものばかりで、しかも特に工夫も凝らしていないので非常に苦痛です。
これはエレクトロアコースティック音楽に限らないことですが、長大な電子音楽作品はだいたいこういったシークエンスの積み重ねが多いです。これは完全な僕の造語で、それぞれ「発展型シークエンス(Séquence de développement)」、「持続型シークエンス(Séquence de continuation)」、「推移型シークエンス(Séquence d’évolution)」と名付けました。波線が同一の、または類似する音素材です。
これらはいずれもうまくやれば面白い構成を実現できる手段ではありますが、これを時間稼ぎの手段にしようとすると急に退屈なものになります。アンビエント目的ならいいんですけどね。むしろ、多少凝ったアンビエントでこれらに当てはまらない作品を探す方が難しいかもしれません。割と簡単に「それっぽい構造」を実現できてしまう方法であるが故に、乱用してつまらない作品が多く生まれているのが現状でしょう。
具体的にこれらのシークエンスの例を挙げたいところですが、本題が変わってしまうのでまたの機会にします。
さて2日目の後半のベイルの作品だけは面白かったので、それを紹介します。
François Bayle (1932-) «Jeîta Ou Murmure Des Eaux» (1970、改作2012)
フランソワ・ベイルはWikipediaに書かれている通り、アクースモニウムの創始者です。存命する電子音楽作曲家の中では最も大御所だと思われます。今回のコンサートでも本人がアクースモニウムの操作を行っていました。
さすが創始者と言うべきか、これまでの他の人たちと比べて明らかに音響空間の作り方が違います。「確たる思想に基づいたミキサー操作」がアクースモニウムの鍵なのですが、それを追求するのは難しいし現に彼以外はまったくそこまで及んでいなかったわけです。こういうのを味わう経験のあるなしでこの分野に対する印象は大きく変わるでしょうね。まあろくでもない現代音楽を聴いて「やっぱ現代音楽はクソだな」って思われることはザラですし、これはどの分野でも同じですね。
この曲の前半部だけYoutubeにあったので紹介します。もちろんアクースモニウムで聴くのと普通のスピーカーやイヤホンで聴くのはだいぶ違いますが、「中身は同じ」なのでちょいと聴いてみてください。
1. 0:00〜 水のささやき
2. 3:05〜 化石の鐘
3. 4:25〜 ミツバチのささやき
4. 8:09〜 闇の口
5. 9:35〜 増殖の妄想
6. 12:23〜 La Vaisseau Nadir
7. 15:17〜 神託
8. 16:29〜 水のささやき
9. 17:34〜 垂直の水
10. 18:53〜 他所へ
僕が気に入っているのは第3パートと第7パートです。3はミツバチを模した電子音に本物のミツバチの音を混ぜ、さらに遠くから歌う声を合わせていくという、なかなか面白い発想です。7はこれまでに出てきた水の音と鐘の音に、人の口の水音や擬音を取り合わせていて、これも見事です。ほとんど全ての素材が「音高のある」もので、それらのハーモニーとリズムがちゃんと工夫されています。「適当に素材が並んでる」作品とは正反対ですね。やはり聴いている人に集中しようと思わせられるかどうか、ちゃんと聴いた分だけご褒美があるかどうか、これが常に作品の肝だと言えるでしょう。とても勉強になりました。