Algomuze——新しい視聴覚芸術の創出についての一案

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第6章 今後の展望と課題

第4章で述べた通り、Algomuzeの最大の問題点は制作の難しさにある。私は音楽部分をProTools、映像部分をAfterEffectsで制作しているが、それぞれが連携していないために、映像と音を合わせて確認する作業そのものが手間も時間もかかって面倒である。音楽と結びついた映像作品を制作した経験のある人間にはよくわかることだが、人間の目と耳は映像と音のズレに対して案外敏感なものである。1フレーム(30FPSの作品ならば1/30秒)タイミングをずらすだけでその違いがわかり、また印象も変わるのを私は何度も経験している。映像か音の片方が出来上がった状態でのその調整作業ですら面倒なのに、Algomuzeの場合は映像を修正すれば必然的に音も修正しなければならず、その往復作業の繰り返しは地獄以外の何者でもない。

したがって、専用のソフトウェアの開発が必要不可欠になってくる。理想としては、AfterEffectsのような視覚オブジェクトの運動制御をフレーム時間単位で行えるソフトに、音声情報との連動機能を付加したようなものである。例えば、

・オブジェクトの位置と音情報を連動させる。オブジェクトをAからBに移動させるときに、それに応じて音量が大きくなる、音が高くなる、定位が変わる、ディストーションが強くなるなど
・色彩(RGB値)と音情報を連動させる
・オブジェクトの加速度と音情報を連動させる
・オブジェクトの視覚エフェクト(ブラー、ぼかし、シャドウ、透明度など)と音情報を連動させる

以上の項目はつまり、オブジェクト(と付随するエフェクト)の制御関数と音声情報の制御関数を連動させるための機能ということである。これに加えて、オブジェクト同士の接触判定による連動機能が必要だ。オブジェクトの見た目とは別の接触判定領域を設定した上で、接触時間・接触面積などと音声情報を連動させる。例えば第4章で示した時計の針の例で言うなら、「針のオブジェクト同士の接触で音がなる」仕組みだと、見た目の針の重なりよりも早く音が鳴ってしまう。それを避けるために、接触判定領域を針の中心部の1ピクセルに設定しておけば、針同士が完全に重なった瞬間に音が鳴るだろう。

 

これで「視覚的アルゴリズムの音声化」については解決できるが、一方で「音声情報の視覚オブジェクト化」についてはどうだろうか。例えば3つの打撃音を視覚化するときに、それをタイミングに合わせて3つの点を表示するか、3という数字を表示するか、りんごの絵を表示するか、その選択は作曲者の構想の中でそれを他の視覚的アルゴリズムとどう結びつけるかによって決まるのである。作曲者の創造性によってオブジェクトが選ばれれば、まずは音声情報を入力し、それに合うタイミングでそのオブジェクトを配置すればよい。入力した音声情報に合わせて視覚オブジェクトの制御関数を連動させることができれば、作業としてはより楽になるだろう。したがって、音声情報を入力するDTMシーケンサーのようなものが必要になってくる。

結局のところ、Algomuzeが「音を従属する映像」と「映像を従属する音」の両方によって成り立っているため、専用のソフトウェアもまた、「音を主体にして映像を連動させる機能」と「映像を主体にして音を連動させる機能」の二つを必要とする。ここで考えなければならないのは、仮に音声情報入力機能をつけたとしても、最終的にそれがそのまま作品としての音声部分の完成にはならないということだ。なぜなら音楽として完成させるためには必ずDTMソフトウェアを使用しなければならないからである。それは映像に対してもまったく同じことが言えるのだが、もし映像制作と音楽制作の双方が中途半端な機能になったとすれば、設計・映像・音楽の3つのソフトウェアを使わなければならず、本末転倒である。よって、映像制作の方に比重を置いて、音声入力機能を最低限備えているソフトウェアが望ましい。それによって音の出力タイミングや大まかな音楽の全体像を把握できれば、あとはそれを元にDTMソフトウェアで音楽を仕上げれば良い。

そのような専用のソフトウェアが作られたとして、最初のうちは内蔵された数少ない音源が使用できる程度にとどまるだろう。それだけでも制作する上では大いに役に立つ。将来的にvstプラグインの読み込みなどが可能になったりすれば、ほぼ完成と言えるのではないかと私は現段階では考えている。

 

◆ ◆ ◆

 

映像と音を同時に生み出す、同時でなければ作れない合成体を生み出すというAlgomuzeの理念は、それ自体が難しいことである以上、専用のソフトウェア開発もまた容易ではないだろう。しかし第5章で述べた通り、未来の芸術形態への応用可能性を考えれば、ソフトウェアの開発は絶対に避けては通れないのである。

現時点でプログラミング技術をまったく持っていない私がこれを一人で実現させるのは不可能である。今の時点で明らかなことはそれだけで、ここから先、新しい文化の創造までに至る道のりがどういうものか、私には何もわからない。私としては、この論文が多くの人の目に触れ、情熱と技術を持った人の新しい創造の原動力となってくれればいいと願っている。その結果がAlgomuzeの実現でなくとも構わない。

それと同時に、現役の、そして未来の現代音楽作曲家が、現状を冷静に見つめ直し、面白い音楽文化を生み出してくれることを心から願って、本論の締めくくりとする。

(了)

 

論文は以上で終わりです。最後までお読み頂きありがとうございました。意見や感想などあれば是非コンタクトフォームからご連絡ください。