4月9日、2e2mのコンポーザー・イン・レジデンス、Agata Zubelのコンサートに行ってきました。3ヶ月前のコンサートの第2弾です。
タイトルの通り、全て女性作曲家。最後の曲が世界初演で、他は全て国内初演です。順に感想を書いていきます。
1. Agata Zubel (1978-) «Labyrinth» (2011)
前回と同様、作曲者本人がソプラノで参加する室内楽。拡声器を一部で使っていましたが、強い音を出すのではなくヒソヒソ声をちゃんと聴かせるためのものです。
構成は歌も含め全員がカオスに音をぶつけ合う部分と、静かで特殊奏法をぽつりぽつりと鳴らす部分との交互の繰り返し。音の組み立てはあまり面白くなかったです。単調な上に声との混ぜ方もあまり工夫がない。トランペットとサックスでアルトフルートの音がほとんどかき消えてたのは明らかに書法のミスだと思います。3.0。
2. Malin Bång (1974-) «Jasmonate» (2017)
スウェーデンの作曲家。日本でも作品発表したことがあるようです。この曲は楽器の実音はほとんどない、特殊奏法の最右翼みたいな作品です。
打楽器群がかなり特殊で、冒頭がチェーンをジャラジャラと鳴らしながらバスドラムを打ち、ピアノが低弦部の内部奏法で混ざるという、斬新な組み合わせ。黄色い筒のようなものは中にピンポン球がたくさん入っていて、商店街のガラガラのように回して音を出す仕組み。他にもビーズのようなものを箱や陶器の上に落としたり、電動ミキサーのような音も使っていました。
しかしただの「音の見本市」で終わるのではなく、それらを他の楽器とよく取り合わせながら、ちゃんとアンサンブルを組み立てていました。途中で打楽器とピアノの二人が左右前方に来て大きな砂時計のようなものを置き、もとに戻って演奏した後、またその場所へ行ってその砂時計を倒して曲が終わったのですが、これだけは全然意味がわかりませんでした。写真でも右のほうに写ってます。まあとにかくユニークな作品でした。5.5。
3. Oxana Omelchuk (1975-) «Staahaadler Affenstall» (2012)
ベラルーシの作曲家。ドイツ圏で活躍しているそうです。
ドラムと指揮者の足元にペダルが置かれ、それぞれ踏むことで録音済み素材を鳴らしながらアンサンブルする作品。冒頭がメトロノームの音で始まるだけあって、終始テンポの定まった曲。録音素材は電子音だけじゃなくラジオやポップスのような引用が目立ってました。全体的におどけた調子でパロディー風の雰囲気だったので、一番聴きやすいのはこの作品でした。楽器法は目を引くようなものはありませんでしたが、まあ楽しげでこういうのもいいんじゃないでしょうか、という感じ。5.0。
4. Agata Zubel (1978-) «3×3» (2019)
本日のメイン。2e2mの委嘱作品。タイトルが意味しているのは、九人の奏者が3つのグループに分かれて配置されているということです。
こんな具合にステージを広く使っています。真ん中のグループにエレキギターがいるのが特徴的。
写真ではわかりづらいのですが、各奏者の位置にそれぞれ電球が配置されていて、各奏者が音を出すときにその電球が光る仕組みになっています。音そのものに反応して光るわけではなく、最初からプログラムされていて、おそらく演奏の側がそれに合わせていたのだろうと思われます。指揮者がイヤホンをしていたので、多分クリック音か何かが流れてそれに合わせてるのではないでしょうか。
電球の光り方、つまりアンサンブルの仕方は、基本的に各グループひとまとまりです。右の3つが光ったら、次は左の3つ、次は真ん中の3つ、みたいな感じ。そうやって何回かチカチカっと光ったあとで、1つのグループが3、40秒くらいのアンサンブルをしたのち、またチカチカ光だして、今度は別のグループのアンサンブル、という繰り返しが基本的な動きです。
途中で2回、席替えタイムがありました。各セクションのメンバー一人ずつが立って別なところへ移っていきます。その間は弦楽器はトレモロ、エレキギターは高速ピッキングをして、つまり全体がじゃかじゃか鳴ってるような感じ。電球もランダムに点滅しているのでさながらディスコタイム。席替えが終わったらまた同じようにセクション毎のアンサンブルになります。3回目の席替えで全員でトレモロクレッシェンドをして、ぶつっと切って終了です。
まあこんな仕掛けはもちろん初めて見ましたので、斬新さはあります。ただ、音が鳴るのに合わせて電球を光らせるという、その仕組みを活かし切った作品かと言われると、それは違うなと思います。2通りの解釈の仕方があるわけですね。つまり電球が「アンサンブルをわかりやすく視覚化するための仕掛け」なのか、「視覚化することでしか生まれ得ない仕掛けのためのもの」なのか、僕にとってはどっちつかずに思えたのです。
後者の例を挙げるなら、ウェーブ状に電球を光らせるとか、全部一気についたと思ったら少しずつ消えていって1個に残るとか、光の運動そのものが意味を為すような仕掛けのことです。そういうのは作品中で全然ありませんでしたし、じゃあわかりやすい視覚化のためかと言われると、どうせセクション内アンサンブルが中心ならわざわざ電球を用意するまでもないという話にもなるわけです。にも関わらず先述したようにアンサンブルそのものは電球のプログラムに合わせないといけないわけですから、これは本末転倒以外の何物でもありません。
あとは単純に目の負担が大きいという根本的な問題もあります。ただ音が出てる箇所を示すだけならわざわざ電球で光らせる必要すらないわけです。そういう負担を強いるだけの効果があったかと言われると、それは否定せざるを得ません。4.0。
前回のコンサートが僕にとって衝撃が大きかっただけに、今回は期待はずれという感じでしたね。まあしかしこうやって色々と考えさせられる機会になっただけ十分収穫といえます。