8日目(7月23日 木曜日)
08:00起床。4泊したこの民泊もいよいよお別れのとき。まあ普通の部屋だったが、どうせ連日歩き回って夜寝るだけなので、安く済んだのは良かった。
前日の大雨とはうってかわって良い天気。まあ旅行中の天気なんてこんなものだ。6日目のスルー事件のトラウマでバスが停まってくれるか心配だったが今回は無事に乗れた。徒歩10分程度とはいえスーツケースをガラガラするのは面倒なので助かった。
オスト駅前にあるコープで朝食を買ってから電車でジュネーヴを目指す。初日の記事でも書いた通り、本来はこの日にチューリッヒへ戻って観光してから翌日飛行機でパリへ戻る予定だった。しかしスイス航空から突然のキャンセルを告げられ、仕方なく予定変更してジュネーヴへ向かい、そこから高速鉄道でパリへ戻ることにしたのだ。
10時出発。トゥーン湖沿いをはしり、
再びベルンの独特な駅ホームに到着。ここから乗り継いでジュネーヴへ。
日本人の大好きなレマン湖。やはりインターラーケンの湖とは規模が違う。当初はローザンヌで1泊してこの湖を眺めつつのんびりする計画もあったのだが、登山メインで日程を組むとここに寄る時間はなかった。
ここらへんからスイスの中でもドイツ語圏からフランス語圏に変わるのだが、電車に乗っていると急にアナウンスがフランス語に変わったり、乗客がフランス語を話し出すから面白い。
ニョンを通過し、
13:00
ジュネーヴに到着。1枚目がこれかよという感じだが、実際駅から最初に見える光景なので仕方ない。
今回のホテルは安定のイビス。駅から歩いて10分ほど。まあなんてことはない普通のホテルかと思いきや、指定された部屋は、
人権部屋。
さすが国連のお膝元ということなのだろうか、いきなりジュネーヴの洗礼を食らった気分である。まあでも偉い人の写真がペタペタ貼ってある以外は普通の部屋だ。
インターラーケンで飲み残したビールがあったのでまずは景気付けに一杯。一休みするともう14時になり、どうせこの時間ではあちこち行くことはできないので、適当な近場を回ることにした。ちなみにここでも市内のバス・トラム乗り放題のチケットをくれた。
早速トロリーバスを利用する。
15分ほどで降りる。この時点でもう遠くに巨大な噴水が見える。
今まで田舎町ばっかりだったので、都会に来たなあという感じ。
ジュネーヴ名物の大噴水に到着。
白鳥の群れ。このときは気温30度を超えていたので白鳥くんもダルそうだ。
この程度近づくだけでも水しぶきが飛んでくる。それにしても本当に高い噴水だ。
ここだけ切り取ると何がなんだかわからない。
噴水の隣にある公園を散策。
花時計を発見。
数字以外のところは造花っぽくも見えるがどうなんだろうか。
パテックフィリップの博物館。
ここの通りの雰囲気はミラノのスカラ座付近を思い出す感じ。
ベルンでよく見た光景。
サン・ピエール大聖堂に到着。
おそらくここも普段はもっと観光客が大勢いるはずなんだろうけれど、このときは人がほとんどいなかった。
グーグルマップで「高所にあり街を一望できる公園」と書かれていたので来てみたが、さほど高くもないし一望という感じでもなかった。ここから下った先に、
ジュネーヴ大劇場。ここもパリのオペラ座みたいに豪華な内装になっているので、一度くらい訪れたいものだ。果たして来シーズンはどうなるのか。
その向かいにあるバスティヨン公園(Parc des Bastions)。普通の公園かと思いきや門の近くに人だかりができている。なんだろうか。
うおおすげえ! これまで各都市で路上のチェスボードを紹介してきたが、こんなにたくさん並んでる場所があるとは。それに平日にも関わらずほとんどの盤面が使われていて、その周りにギャラリーがいる。
これが個人的にはジュネーヴで一番感動的な光景だった。テーブルで静かにチェスを楽しむ人もいたり、ギャラリーの中で対戦する人もいたり。もし自分がチェスプレイヤーだったら間違いなく飛び入り参戦していたのに。くっそー、これが囲碁盤だったらと思わずにはいられない。
なんでこんなにもこの光景に胸打たれるのか説明するのも難しいのだが、やっぱり「文化として根付いてる」という感じを受けるからだろうか。それに今までスイスにチェスというイメージは全然なかったからなおさら驚きもある。今はスマホでなんでも手軽に対戦ゲームができる時代だが、アナログの手触りならではの興奮というのは間違いなく存在する。チェスの駒の立体感はまさに巨大化するのにふさわしく、やはり将棋や囲碁を巨大化するより見栄えが良い。本当に素晴らしい文化だ。
つい熱くなってしまったが、この公園の本来の見所はこちらの宗教改革記念碑。では一緒に世界史のお勉強をしましょう。
左に彫ってあるのは1536。当時のジュネーヴ司教はフランスのサヴォワ家と手を結んでおり、民衆と対立関係にあった。しかし同盟関係にあったベルンはすでに宗教改革を行っており、ジュネーヴの改革も支持していた。そしてベルンの軍事的支援を背後に5月21日からジュネーヴの宗教改革が始まり、司教からの独立を目指す。その直後、同年3月にバーゼルで『キリスト教綱要』を執筆したジャン・カルヴァンがジュネーヴを訪れ、改革運動に協力することになる。
中央には宗教改革の中心となった4人の彫像が並ぶ。左から2番目がカルヴァン。足元には1559の数字。この年にカルヴァンはこの公園に神学大学、現在のジュネーヴ大学を設立する。この5年後にカルヴァンは死去。
右にあるのは1602。ジュネーヴ支配を諦めていないサヴォワ家はこの年の12月12日に夜襲、通称エスカラード作戦を仕掛ける。エスカラードはフランス語で梯子という意味で、城壁に梯子をかけてそこから中へ突入しようとしたことから名付けられたらしい。この夜襲を見事防いだジュネーヴは翌年の和約によって完全な独立を果たす。
ここでの戦いに敗れていたらジュネーヴはフランス領になっていたかもしれないということもあり、ジュネーヴ市民にとってはこの日こそが独立記念日であり、現在はこの日を祝ってエスカラード祭りが行われている。どうやらジュネーヴ市民にとってはクリスマスよりもこちらのお祭りの方が重要で盛大に行われるようだ。こういう歴史を知ると是非ともお祭りを見たみたくなるもんだ。
さてもう夕刻近くになってきたので、お店が閉まる前にお土産を買いに行こう。