イチロー、ウメハラ、ハブヨシハル

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3月21日、イチロー選手の引退が発表されました。試合後の引退会見は1時間以上行われ、さすが興味深い内容が多くて面白かったのですが、その中で印象に残ったものを紹介します。

 

記者の質問。

「子供の頃からの夢であるプロ野球選手になるというのを叶えて、これだけ成功なさって、イチローさんは今、何を得たと思っていらっしゃいますか?」

イチローの答え。

「まあ成功かどうかってよくわからないですよね。じゃあどっからが成功でそうじゃないのかっていうのは、まったく僕には判断できない… だからまあ成功って言葉は僕は嫌いなんですけど。

メジャーリーグに挑戦する——まあどの世界でも新しいことに挑戦するっていうのは大変な勇気だと思うんですけれど、まあ成功——ここは敢えて成功という表現をしますけれど——成功すると思うからやってみたい、それが出来ないと思うから行かない、という判断基準では、後悔を生むだろうなと思います。やりたいならやってみればいい。出来ると思うからやるのではなく、やりたいと思えば挑戦すればいい。そのときに、まあどんな結果が出ようとも、後悔はないと思うんですよね。

じゃあ自分なりの成功を得たところで、達成感があるのかと言えば、それも僕には疑問なので、基本的にはやりたいと思ったものに向かって、生きたいですよね」

 

 

これを聞いた瞬間に思い出したのは、プロゲーマーの梅原大吾です。知らない方はWikipediaをご覧ください。一言で言えば、日本人初の、そして最も有名なプロゲーマーです。プロゲーマーの第一人者が彼であったことは、この業界にとって最大の幸運だったと僕は思います。

彼は2017年に慶應大学で講演を行なったのですが、その内容が忘れられないほど面白いのです。動画があるので時間がある方は、いや時間のない方でも一度見てみるのを勧めます。

 

ウメハラ「BeasTV」17/1/19 – 一日ひとつだけ強くなる 慶應丸の内シティキャンパス講演

 

後半で質疑応答があるのですが、その内容を抜粋します。

 

質問「僕が今やりたいことと言うのは、梅原さんのゲームと同様、周囲から認められるようなものではないんです。出来ることなら、厳しいんですけどその道に進みたいと考えていて、ですがそれは大学の勉強とは一切関係のないことなんです。それで、やりたいこととやらなければいけないこととの折り合いというのを、梅原さんはどうやってつけていましたか?」

梅原の答え。

「そのバランスがすごい悪いから怒られてたんですよ。(会場笑)もちろんきちんと両立している人もいるけれど、僕みたいに突っ走ってしまう人もいる。もし本気でやりたいことがあるのなら、まあこういうこと言っちゃあ悪影響かもしれないんですけど、折り合いなんてつけてる場合じゃないんですよ。本当にやりたければ。

でも普通はそうじゃないですよね。サラリーマンになって、子供ができて、平和な家庭を作ってって、そういう人生もいいなあとも思うし、何か一つのことに打ち込むのもいいなあと、思うわけですよね。そう思うんだったら、両方並行して進めていったらいいんじゃないかなと思いますね。

で、何より重要なことっていうのは、今日のテーマでもありますけど、自分で決めるっていうことだと思いますね。折り合いをつけなければいけないというのが、自分が人生の中から自然と学んだことなのか、周囲に言われたことなのか、そういうことによって、後悔するかしないかって決まってくると思います。

自分が人生の中で、「そうか、やりたいことと、やるべきことは、分けなきゃいけないんだ」ということを実感して、その人生哲学に基づいて行動するんだったら、後悔しないはずなんですよ。「あのとき俺は、一つのことに打ち込んでいたらどうなっていただろう」って後悔はしない。だけど、「折り合いをつけるべきでしょ」って、なぜなのかという説明も何もされずに大多数の意見に耳をかして、自分のやりたいことを諦めたとすれば、もしかしたらいつか、「あのときああしてたらな」と思う可能性はあります。

これは難しいんですけどね。だけど本当は自分はどう思っているんだろうというのを深く掘り下げて、その上で答えを出すのならば、何を選んでも悪いことにはならないんじゃないかと思います」

 

「好きなことをやるっていうのは、身勝手で無責任で、まあ実際そうなんですけど、でも同時にチャレンジなんですよ。「周囲の期待に応えない」っていうのはすごいチャレンジなんですよ。そうは言ってるけどでも違いますよね。いつかは応えるんですよ。ただその応え方が、あなたたちの思うようなやり方ではないですよ、っていうことで。だって期待に全く応えなければ、社会生活はできませんから。

「チャレンジすることに意義がある」なんて言葉がありますけど、僕は綺麗事だなと思ってるんですよね。僕の感覚からすると、褒められることがわかってるチャレンジというのは、チャレンジのふりですよ。それはチャレンジだと僕は思わないですね。チャレンジっていうのは、やってる最中は人に笑われるし、だめだったときには馬鹿にされるし、場合によっちゃあ仕事がなくなるのが、本当のチャレンジなんですよ

「なんだよそんなおっかねえもんなのかよチャレンジって」ってね、でも実際そうなんです。おっかないものなんだけど、多かれ少なかれチャレンジってしていかないと、「なんで生きてるんだっけ」って、思うことになる。生きるっていうことは常にそのリスクがあるっていうのを受け入れて、「お前チャレンジしろよ」と言われてやるよりも、自分から「言われる前にこっちからやってやらあ」っていうチャレンジの方が、気持ちがいいし、それで何か成果を残したときっていうのは、孤独とか寂しさとかに耐えた分だけ大きな報酬があると思いますね。みんなをわっと驚かせるような発見だったり、サービスや商品だったりするのだと思います」

 

どうですか。全く同じことを言ってるな、って思いますよね。どんな分野であれプロの厳しい世界で生きてきた人間の、これが辿り着くべき境地なのだと思います。

 

そして勝負の世界で結果を残してきた人物として真っ先に名前が挙がる羽生善治も、また同じことを言っています。これ有名な言葉なんですが出典がどこにも明記されてなくて、僕としては正直出典のわからないものをその人の言葉として紹介するのは非常に気が引けるのですが、文体から察するに本人の文章だと思われます。なので日本に帰ったときに著作を一通りあたってみて出典を探します。もしくはご存知の方がいれば教えてください。

※8/9追記 2005年の著作『決断力』P.171にありました。当初掲載していたものと文章の並びが微妙に異なっていたので、本書の通りに引用しなおします。太字強調は僕自身によるもので著者によるものではありません。

 

「どの世界においても若い人たちが嫌になる気持ちは理解できる。周りの全員が同じことをやろうとしたら、努力が報われる確率は低くなってしまう。今の時代の大変なところだ。

何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続しているのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている。

誰でも、時には落ち込んだり、挫折感を抱いたり、飽きたりもする。特に最近は、他の刺激を受ける機会が多い。誘惑もされやすい。若い人たちが自分を信じ、諦めずに一つのことを続けるのは難しい」

 

 

人生はポーカーです。これは冗談ではありません。当たるかどうかわからないところへ自分自身をベット(賭け)していかないといけません。そして芸術もまたポーカーです。歴史というディーラーテーブルの上に自分の人生と作品と思想をオールイン(全賭け)するのが芸術の本質です。僕の人生にももうじきその瞬間がやってくるでしょう。

 

 

さて本題とは関係ありませんが、イチローの記者会見での最後の質疑応答も大変良いので紹介しましょう。

記者の質問。

「最初のマリナーズ時代、自分は孤独を感じながらプレーしていると仰っていましたが、その後チームが変わって、プレーする役割も変わっていって、そして今はこうして引退となったわけですが、その孤独感というのはずっと感じながらプレーしていたのでしょうか?」

イチローの答え。

「現在それはまったくないです。今日のこの段階では、まったくないです。それとは少し違うかもしれないんですけど、アメリカに来て、メジャーリーグに来て、…外国人になったこと。アメリカでは僕は外国人ですから。このことは… 外国人になったことで、人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今まで無かった自分が現れたんですよね。この体験というのは、本を読んだり情報をとることができたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので、孤独を感じて、苦しんだこと、多々ありましたけど、その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと、今は思います。

だから、つらいこと、しんどいことから逃げたいと思うのは当然なんですけど、でもエネルギーのある元気なときにそれに立ち向かっていく、そのことは人として、重要なことなのではないかと感じています」

 

 

現在留学中の僕にとってこれほど支えになる言葉もないですね。未来の自分より確実に若い今こそが、頂の見えない山へと挑む最大の好機なのだと励まされました。

 

イチロー選手お疲れ様でした。たくさんの夢と誇りを日本人にもたらしてくれたことを感謝します。