<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>音楽 | ヒゲメガネボウズ</title>
	<atom:link href="https://algomuze.com/category/music/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://algomuze.com</link>
	<description>パリでの音楽修行記録</description>
	<lastBuildDate>Tue, 05 Jul 2022 10:00:55 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>
	hourly	</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>
	1	</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=6.9.4</generator>

<image>
	<url>https://algomuze.com/wp-content/uploads/2018/12/cropped-site-icon-32x32.png</url>
	<title>音楽 | ヒゲメガネボウズ</title>
	<link>https://algomuze.com</link>
	<width>32</width>
	<height>32</height>
</image> 
	<item>
		<title>卒論の口頭試問用の原稿</title>
		<link>https://algomuze.com/music/4151/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[Ryozo]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 05 Jul 2022 09:34:39 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[音楽]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://algomuze.com/?p=4151</guid>

					<description><![CDATA[６月末に音楽院の卒論の口頭試問がありました。これは提出した論文について１５分のスピーチを行なった後で、論文の内容についての質問を審査官から受けるというものです。当然フランス語で喋らなければならないので、そのための台本を作 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>６月末に音楽院の卒論の口頭試問がありました。これは提出した論文について<strong>１５分</strong>のスピーチを行なった後で、論文の内容についての質問を審査官から受けるというものです。当然フランス語で喋らなければならないので、そのための台本を作ってから臨みました。この記事ではそれを公開します。論文そのものはこちら。</p>

<a href="https://algomuze.com/music/4101/" title="Algomuze——新しい視聴覚芸術の創出についての一案" class="blogcard-wrap internal-blogcard-wrap a-wrap cf"><div class="blogcard internal-blogcard ib-left cf"><div class="blogcard-label internal-blogcard-label"><span class="fa"></span></div><figure class="blogcard-thumbnail internal-blogcard-thumbnail"><img decoding="async" width="160" height="90" src="https://algomuze.com/wp-content/uploads/2022/06/titre-160x90.jpg" class="blogcard-thumb-image internal-blogcard-thumb-image wp-post-image" alt="" srcset="https://algomuze.com/wp-content/uploads/2022/06/titre-160x90.jpg 160w, https://algomuze.com/wp-content/uploads/2022/06/titre-300x169.jpg 300w, https://algomuze.com/wp-content/uploads/2022/06/titre-120x68.jpg 120w, https://algomuze.com/wp-content/uploads/2022/06/titre-320x180.jpg 320w, https://algomuze.com/wp-content/uploads/2022/06/titre.jpg 640w" sizes="(max-width: 160px) 100vw, 160px" /></figure><div class="blogcard-content internal-blogcard-content"><div class="blogcard-title internal-blogcard-title">Algomuze——新しい視聴覚芸術の創出についての一案</div><div class="blogcard-snippet internal-blogcard-snippet">私の音楽院での卒業論文を公開します。大学ではないので、これは学術論文ではありません。フランス語で言うところのまさに「エッセイ（試論）」ですね。内容はタイトルにある通り、批評のためではなく、創作をする人のための芸術論みたいなものです。全６章立...</div></div><div class="blogcard-footer internal-blogcard-footer cf"><div class="blogcard-site internal-blogcard-site"><div class="blogcard-favicon internal-blogcard-favicon"><img decoding="async" src="https://www.google.com/s2/favicons?domain=https://algomuze.com" alt="" class="blogcard-favicon-image internal-blogcard-favicon-image" width="16" height="16" /></div><div class="blogcard-domain internal-blogcard-domain">algomuze.com</div></div><div class="blogcard-date internal-blogcard-date"><div class="blogcard-post-date internal-blogcard-post-date">2022.06.08</div></div></div></div></a>
<p>&nbsp;</p>
<p>状況としては、口頭試問に作曲科の担当教員が一名いるのはわかっていたのですが、他の審査官は何が専門なのか、何人来るのかすらわかっていませんでした。で、提出した論文についてのスピーチが<strong>１５分ぽっちで出来るはずもない</strong>ので、最初からそれはやめておこうと思っていました。代わりに、論文の内容を補足するようなエピソードをいくつか語ろうと思って臨んだという次第です。</p>
<p>しゃべった内容は論文そのものに比べれば遥かにわかりやすいというか、普通のエピソードなので、あまり論文の内容にピンと来なかった人にも是非ご覧いただきたいです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この記事では内容についての註釈を入れていこうと思っています。というのは、エピソードの細かい内容についてフランス語でいちいち説明するのは大変面倒だったので、簡略化したり、あるいは多少の捏造を混ぜながら実際はしゃべりました。なのでそういう箇所は<strong>※マーク</strong>をつけて、青枠で註釈を入れていきます。</p>
<p>ではどうぞ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p style="text-align: center;">◆　◆　◆</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>まず初めに、私の論文を読んで頂いたことを感謝します。これはとても長くて内容も複雑なので、きっと面倒な思いをさせたことだろうと思います。なので、もし時間をかけて私の論文を読んで頂いたのなら、それだけで私はとても満足です。</p>
<p>さて、今日は論文についての話をするつもりはありません。理由は単純に、１５分では到底その内容を話すことができないからです。急いで書いたものですから修正したい箇所はたくさんあるのですが、それでも私が主張したいことはそこに全て書いてあります。この場でこれ以上付け加えることは何もありません。</p>
<p>なので今日は、私がなぜそのアイデアを思いついたのか、何に影響を受けてその考えに至ったのか、それについての二つの話をしようと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>まず一つ目の話は、私自身のことについてです。私は４歳の頃にバイオリンを習い始めたのですが、当初はそれほど音楽が好きではありませんでした。小学校に入ってからは野球チームに所属していた（※１）ので、そっちの活動の方がずっと楽しかったのです。１４歳のときに野球チームを卒業してから（※２）少しずつ音楽に興味を持ち始めて、バイオリンも熱心に練習するようになりました。</p>
<div class="info-box"><strong>※</strong>１　正確には小学校３年生の春から、軟式少年野球チームに入りました。それ以降、バイオリン教室の同い年の女の子と実力の開きが如実に出始めて、なんとも悔しい思いをすることになりました。<br />
<strong>※</strong>２　少年野球はもちろん小学校までで、中学に入ってからは学校の軟式野球部に所属していました。説明が面倒なので試験ではこういう話し方をしています。高校は野球の名門校だったのでそのつもりで進学したのですが、結局は野球を選ばずに音楽をやるようになったわけです。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p>そして１６歳になった頃に、あるコンサートに行きました。バレンボイムが指揮する、ベルリン・シュターツカペレです（※）。私の故郷の札幌という街は人口２００万人なので決して小さな都市ではありませんが、日本には東京や横浜や大阪といった大都市が他にありますから、有名な音楽家やオーケストラが日本に来ても、わざわざ札幌まで来てくれることは多くありません。事実、バレンボイムが札幌に来たのはその１回きりでした。幸運にも、私はそのたった１回のチャンスに巡り会うことができたのです。</p>
<div class="info-box">※　このエピソードは以前マーラー７番のコンサートに行ったときの記事で書いたものと同じです。そちらの方が詳しく書かれているので知りたい方は<a href="https://algomuze.com/concert/508/">そちらをどうぞ</a>。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p>プログラムの前半はベートーヴェンのピアノ協奏曲の弾き振りで、正直そちらの演奏は今はあまり覚えていません。ですがプログラム後半のマーラーの交響曲７番、こちらは今でもまだ鮮明に音を覚えているくらい、とても素晴らしい演奏でした。私が心から音楽に感動した、最初の体験でした。それがきっかけで、私は頻繁にコンサートへ行くようになりました。私は高校生の頃にハンバーガーショップでアルバイト（※）をしていたので数千ユーロの貯金があったのですが、その全てをコンサート代とCDを買うのに費やしました。ほぼ毎週のようにコンサートへ行き、毎日のようにCDを聴いていました。</p>
<div class="info-box">※　僕は高校に入ってすぐの５月から、友達の誘いでモスバーガーでアルバイトをしていました。当時の時給は<strong>６５０円</strong>でっせ。時代ですねー。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p>そんな生活をしていたある日、急に音楽がわからなくなりました。確かに音は私の耳に入っているはずなのですが、一体音楽の何を聞いたらいいのかわからなくなってしまったのです。しかし演奏は止まってくれませんから、私は目の前を過ぎ去っていく音楽を前にただ佇むことしかできなくなってしまいました。１００ユーロ払ってコンサートへ行っても何の収穫もなく終わる、そんなことが何度もありました。</p>
<p>そこで当時私のバイオリンの先生に相談してみました。</p>
<p>「先生、音楽がわからなくなってしまいました。音楽に集中できず、音が通り過ぎていってしまうのです」すると彼女はこう答えました。<br />
「何も難しいことを考える必要はないのよ。ただ頭を空っぽにして、音楽に身を任せるだけでいいの」</p>
<p>私は「そうなんですね」と答えましたが、心の中では全然納得していませんでした。これは気持ち一つで解決できるような、そんな単純なことではないという確信があったからです。</p>
<p>その後も特に何かが解決するわけでもなく、よくわからないままコンサートへ行きCDを聴く日々が続いたのですが、２年ほど経ってからようやく一つの答えを得ることができました。それは何か。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日本には「木を見て森を見ず」という諺があります。これは物事の一部分に気を取られていると全体がわからなくなる、という意味です。多くの物事に通じる、良い諺だと思います。さて私が得た結論は何かと言うと、「木を見て、森も見る」ということです。音楽には流れの中で集中して聴くべきポイントがありますが、それと同時に全ての音も聴かなくてはいけないのです。</p>
<p>これは映画でもまったく同じことです。私たちは人物が喋っていればそこにしか目がいかないですし、まして字幕付きの作品だったらほとんどの人は字幕しか見ていません。しかしそれでは駄目なのです。喋っているときの人物の表情、体の動き、背景、レイアウトとカメラワークを目で見て、同時に声の演技、環境音、音楽を耳で聞く。これが「映画を見る」という行為なのです。しかもそれら全ての要素が等価値というわけではありません。見るべきポイント、聞くべきポイントが常に存在して、鑑賞者は集中力のバランスをそれに応じてその場その場で変えなくてはいけないのです。だから私は「木を見て、森も見る」という言い方をしたのです。</p>
<p>音楽の場合、それらの全てを耳だけでやらなければいけない、という風にも言えるわけです。これはとても難しいことです。このことに気づいて私はようやく納得しました。「音楽がわからない」というのは当然のことなのです。なぜなら音楽を聴くという行為そのものが非常に難しいものだからです。</p>
<p>これが私の作曲家としての哲学です。「音楽を聴くのは難しい。だからこそ、聴く人の集中力をどうやって生み出し、それを持続させるかという手段を、作曲家は第一に考えなければならない」これがAlgomuzeの一番重要な根本思想です。一つ目のエピソードは以上です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>二つ目は、「囲碁」の文化についてです。</p>
<p>ヨーロッパでは頭脳ゲームの王様はチェスですが、アジアの国々、特に中国、韓国、台湾、そして日本での王様は囲碁です（※）。これから私は囲碁の話をしますが、大部分はチェスと共通することなので、もしチェスに馴染みがあればそれと置き換えて私の話を聞いてください。</p>
<div class="info-box">※　<strong>わかってる、皆まで言うな。</strong>そうです、日本の王様は囲碁ではなく将棋です。もちろんこれも説明が面倒なので省略しました。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p>私は囲碁が人類の歴史上で最高の文化の一つであると考えています。その理由をお話しします。</p>
<p>日本の場合、「タイトル戦」と呼ばれる大きな大会が７つあり、プロ棋士の１年間の対局スケジュールはそれを中心にして決められています。ゴルフやテニスで言うところの４大大会、メジャー選手権のようなものです。タイトル戦に出場する棋士は当然、プロの中でもトップレベルの人だけです。だから、その対局は全てのプロ棋士が必ず見ます。リアルタイムで見れなくても、翌日までにはその棋譜を必ずチェックします。これをやらないプロ棋士は一人もいません。なぜなら、最先端の研究の成果がその対局に現れるからです。タイトル戦は日本の様々な地方都市で行われるのですが、スケジュールが空いている棋士はわざわざ現地まで行って、そこに集まった棋士同士でリアルタイムで対局内容の検討を行うのです（※）。</p>
<div class="info-box">※　より正確には、新聞解説を担当するのは上位ランクの棋士が多く、その人は必ず現地に行きます。あとは立会人のベテラン棋士、現地大盤解説を担当する棋士を中心にして、他に勉強のために集まった棋士同士で検討する、という感じです。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p>「最先端の研究を全てのプロ棋士がリアルタイムで検討する」、これがどれほど高度な文化であるかわかりますか。学問の世界ですら、ここまで透明な文化にはなれません。フェルマーの最終定理を証明したアンドリュー・ワイルズは、その過程で大きな困難がいくつもありました。その理由は、「定理を証明した」という栄誉はたった一人にしか与えられないからです。そのために、彼は自身の研究内容を発表のその日まで、ごく一部の人を除いて完全に隠す必要があり、したがって数々の問題を彼一人で解決しなければならなかったのです（※１）。この例以外にも、学問の世界では最新の研究内容を隠さなければいけない状況がいくつもあります（※２）。その点囲碁では、研究を隠しておく理由は何もありません。最新の研究は全て公開され、それを基にすぐさま次の研究が始まるのです。</p>
<div class="info-box">※１　「最初のうちはライバルの存在を気にする必要はなかった。自分を含め、良いアイデアを持っている人間は誰もいないと思っていたから」と語るワイルズが、最初の発表の後に証明の誤りが発覚した瞬間、とてつもない焦燥に駆られたのは有名なエピソードです。なぜなら、その誤りを修正して最後の手柄だけを掻っ攫われたらその人が証明者になってしまうからですね。しかしそんな絶体絶命の状況でも証明を最初に修正できたことが彼の偉大さを物語っています。<br />
※２　もちろん透明度の非常に高い学問分野もあるでしょう。しかしそれは学問一般に対して言えることではないということを言いたかったのです。特に国からの研究予算が多くついている場合や、企業研究の場合など。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p>学問が人類にとって最も価値ある営為であることは間違いありませんが、囲碁という文化はある意味ではそれすらも上回る側面があると私は思っています。この透明な文化への憧れ、これもまたAlgomuzeの思想の一つです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>もう一つ囲碁にまつわる面白い話をします。囲碁の対局時間は大会によって異なるのですが、場合によっては１２時間以上行われることもあります（※１）。棋士は昼食や夕食を食べますが、それ以外は常に盤面の前で座っているだけです。にもかかわらず、対局が終わったあとには棋士の体重が１キロ、２キロ落ちるのです。なぜだかわかりますか。それほどまでに脳みそがエネルギーを消費するからです。囲碁の世界では「脳みそが汗をかく」（※２）という表現もあるくらい、人間の集中力の限界を試されるのです。この極限の集中こそが、私の理想とする人間の境地なのです。</p>
<div class="info-box">※１　もちろん一番対局時間が長いのは二日制の場合です。まあ例によってこれも説明が面倒なので省略しました。<br />
※２　この表現はもはや一般的になったと思いますが、僕個人が最初に聞いたのは多分将棋棋士の誰かが言った言葉だったと記憶しています。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p>芸術家や音楽家が「宇宙の真理」や「神の声」を求めてLSDなどの薬物に手を出すことは珍しくありません。私は創造性を求めて薬物に手を出すことは決してないでしょう。それは倫理的な問題ではなく、薬物によって得られる創造性には限界があると考えているからです。もし本当に神の声を聞きたいと願うのなら、数学者や囲碁棋士のように訓練に訓練を重ねて極限の集中力を身につける以外の道はないと私は確信しています。</p>
<p>私はそれを音楽でも実現できるのではないかと考えています。それは先ほども述べた通り、音楽を聴くという行為は高い次元の集中力を要求するからです。最初は子供でも理解できる簡単な段階から始まり、少しずつ複雑になっていき、最終的には想像を絶する複雑性に至る。この道のりを、一つの作品の中で、あるいは複数の作品群の中で実現できないだろうか、という発想がAlgomuzeのアイデアの第一歩でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>最後に、私はここまで囲碁は理想的な文化であると語ってきたわけですが、そんな囲碁の世界にも数年前に大変革が起きてしまいました。それが人工知能の登場です。2016年に、Google傘下のある企業が開発した人工知能プログラムが当時の韓国のトッププロ棋士を破って以降、人間はもう囲碁というゲームではコンピューターに勝てなくなってしまいました。そしてプロの研究に人工知能は必要不可欠なものになりました。これが意味するのは、「人間同士だけで行う研究の価値が著しく落ちた」ということです。先ほどお話ししたように、今でもなおプロ同士が集まって重要な対局の検討をすることはあるのですが、その際には必ず人工知能の示す見解を参照するわけです。人工知能を用いない研究は「不完全なもの」と見做されるようになったのです（※）。</p>
<div class="info-box">※　もちろん今でも、囲碁・将棋問わず対局後の棋士同士の検討は必ず行われますが、それはあくまで本格的な検討というよりは、ある一手の決断のときにどのようなことを考えていたのか、お互いの見解を開陳するためのもの、のような気がします。しかし例えば先日終了した囲碁の本因坊戦なんかでは対局後に１時間近くも棋士だけで検討したりしていたわけですが、そのときはどういう心境とか態度で、どういう位置付けで検討しているのか、ぶっちゃけ井山本因坊には聞いてみたいところですね。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p>囲碁のみならず全ての頭脳ゲームの最終的な目的は「ゲームそのものの解明」ですから、人工知能の登場によって研究が加速すること自体は歓迎すべきことです。しかし、私個人の見解では、「集団文化」としての囲碁の魅力は、かつての時代より失われてしまったなと思っています。こういった背景がありますので、私の論文の中でも人工知能の話題を取り扱った次第なのです。</p>
<p>私の発表は以上です。ご静聴ありがとうございました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p style="text-align: center;">◆　◆　◆</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>以上が口頭試問のスピーチでした。時間は計っていませんがまあ多分１５分から２０分くらいに収まっているでしょう。最後の「集団文化としての囲碁の魅力」というのは結構難しいテーマなので、また別の機会に改めて書きたいなと思っています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>まあしかし、これを話しているときの審査官たちの表情というのが、なんかあんまりピンときてないような、さほど興味を惹かれてなさそうな雰囲気だったんですが、それが残念でしたね。僕のフランス語そのものの問題だったという可能性はさておいて、自分としては結構面白い話ができてると思ってたんですけどね、ご覧頂いた皆さんはどうでしょうかね。まあよければ感想でもください。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>Algomuze——新しい視聴覚芸術の創出についての一案</title>
		<link>https://algomuze.com/music/4101/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[Ryozo]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 08 Jun 2022 20:57:53 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[音楽]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://algomuze.com/?p=4101</guid>

					<description><![CDATA[私の音楽院での卒業論文を公開します。大学ではないので、これは学術論文ではありません。フランス語で言うところのまさに「エッセイ（試論）」ですね。 内容はタイトルにある通り、批評のためではなく、創作をする人のための芸術論みた [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>私の音楽院での卒業論文を公開します。大学ではないので、これは学術論文ではありません。フランス語で言うところのまさに「エッセイ（試論）」ですね。</p>
<p>内容はタイトルにある通り、批評のためではなく、<strong>創作をする人のための芸術論</strong>みたいなものです。全６章立てで、第２章だけは音楽の専門的な内容が多いですが、知識がなくても論理構造はわかるように明確に書いたつもりです。第３章では漫画や映画の話題もあるので、そこだけ読んで頂いても構いません。一つ一つをじっくり考えながらというよりは、まずは全体をざーっと読んで頂いたほうが、なんのための論文なのかわかりやすいと思います。文字数は約２４０００字、文献などの引用は一切なく、全て僕の言葉だけで書かれています。</p>
<p>フランス語版の原題は「現代音楽の脆弱性の解決策としての、新しい視聴覚芸術の創造についての一案」です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>これは一つお願いなのですが、もしよければこの論文をダウンロードして皆さんの手元に置いといて頂きたいのです。僕のこのホームページサーバーとドメインは来年末までは継続料金を支払済みですが、なにせ危うい人生を送っているものですから、僕が突然この世から退場しても何ら不思議ではありません。この論文が、僕がこの世界に貢献できる最後の仕事になる可能性は十分あるんです。それくらいの価値はあると、今は少なくともそう思っています。なので、ネットの海から完全に消滅してしまう前に、よければパソコンやスマホの片隅に置いといて頂けると嬉しく思います。1MB程度ですので。</p>
<p>確かにこれは卒論がきっかけで書かれたものですが、この論文自体は僕の人生の研究そのものなので、これで完成ということは全然ありません。今後長く生きられるようでしたら内容をどんどんアップデートしていきたいと思っています。もし内容を更新したらこちらでお知らせしていきます。</p>
<p>日本語版のPDFは<a href="https://algomuze.com/wp-content/uploads/2022/06/algomuze_jp.pdf">こちらから</a>。フランス語版のPDFは<a href="https://algomuze.com/wp-content/uploads/2022/06/algomuze_fr.pdf">こちらから</a>。</p>
<p>論文の内容についての質問や意見、または翻訳についての指摘などあれば是非<a href="https://algomuze.com/contact/">コンタクトフォーム</a>からご連絡ください。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>さて、ここからは日本語版の論文をそのまま載せていきます。せっかくなのでこちらではPDF版には載せていない注釈も少し追加しています。※マークで書かれているものがブログ用の注釈です。長いので章ごとにページを区切っています。それではどうぞ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img fetchpriority="high" decoding="async" class="aligncenter wp-image-4130 size-medium" src="https://algomuze.com/wp-content/uploads/2022/06/titre-300x169.jpg" alt="" width="300" height="169" srcset="https://algomuze.com/wp-content/uploads/2022/06/titre-300x169.jpg 300w, https://algomuze.com/wp-content/uploads/2022/06/titre-120x68.jpg 120w, https://algomuze.com/wp-content/uploads/2022/06/titre-160x90.jpg 160w, https://algomuze.com/wp-content/uploads/2022/06/titre-320x180.jpg 320w, https://algomuze.com/wp-content/uploads/2022/06/titre.jpg 640w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>第１章　構造とは何か</strong><br />
<strong><a href="https://algomuze.com/music/4101/2/">第２章</a>　ソナタ形式の文化とその崩壊</strong><br />
<strong><a href="https://algomuze.com/music/4101/3/">第３章</a>　現代音楽の脆弱性</strong><br />
<strong><a href="https://algomuze.com/music/4101/4/">第４章</a>　新しい視聴覚芸術の創出についての一案</strong><br />
<strong><a href="https://algomuze.com/music/4101/5/">第５章</a>　芸術の３文脈</strong><br />
<strong><a href="https://algomuze.com/music/4101/6/">第６章</a>　今後の展望と課題</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>本論の目的は「現代音楽文化の脆弱性について分析し、その解決策としての新しい音楽文化の創出についての一案を提示すること」である。ここでの「現代音楽」は、「主に大学や音楽院のポストに就いている作曲家が、国やコンサートホールや演奏団体からの委嘱を受けて制作する音楽、または現代音楽フェスティバルや自主企画コンサートにおいて初演が行われる音楽」を指す。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>第１章では、本論を進める上での核となる概念である「内側の構造と外側の構造」の説明を行う。</p>
<p>第２章では、１８世紀から１９世紀にかけてのクラシック音楽において、なぜソナタ形式が中心的役割を果たしていたのか、またその文化がなぜ崩壊したのか、その理由を第１章で提示した概念を元に説明していく。</p>
<p>第３章では、まず「創作文化の強固さ」という概念について説明した後、現代音楽文化がその要件を満たしていないことを指摘することでその脆弱性を論じる。</p>
<p>第４章では、第３章で指摘した脆弱性を解決するためのアイデアを提示する。またそれが私個人の創作に留まらず、新たな集団的創造文化に発展する可能性についても論ずる。</p>
<p>第５章では、「価値ある芸術表現」のための要件について説明し、第４章のアイデアがそれらを満たしていることを示すことで、それが歴史的必然性を備えていることを補強する。</p>
<p>第６章では、第４章のアイデアを集団的文化にするための最大の課題について説明し、その解決策と展望について述べる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<h5>第１章　構造とは何か</h5>
<p>構造（structure）とは何か。それは一言で言うならば「繰り返し」である。さらに正確に言えば「繰り返しの認識（perception）」である。</p>
<p>例えば、</p>
<p><strong>A</strong>B<strong>A</strong></p>
<p>のような単純な形式なら容易に繰り返しを認識できるが、</p>
<p><strong>A</strong>BCDEF<strong>A</strong>GH&#8230;</p>
<p>のような場合はどうか。確かに<strong>A</strong>は繰り返しているが、距離が遠すぎるしそのタイミングで繰り返す必然性も見受けられない。認識としてはすなわち「羅列」と変わらないと言える。したがって、ただ何かを繰り返せば、もしくは偶然何かが繰り返されていればそこに構造が生まれるのではなく、鑑賞者の認識に訴えるような繰り返しの実施こそが構造を生み出すための鍵であるということがわかる。</p>
<p>ただし、この例のような羅列と変わらない構造であったとしても、繰り返しの認識を生み出す場合がある。それは、既にそれと同じ構造を持つ作品が存在している場合である。たとえ作品内部の繰り返しが認識できなくとも、もっと極端なことを言えば、作品内部に一切の繰り返しが存在しない場合であってすら、作品外部の影響によって鑑賞者は繰り返しを認識することになる。</p>
<p>作品内部の繰り返しによって成立している構造を<strong>「内側の構造（structure interne）」</strong>、別作品もしくは別作品群によって繰り返しの認識を生み出す構造を<strong>「外側の構造（structure externe）」</strong>と本論では呼ぶことにする。これは私独自の造語で音楽学・芸術学の学術用語ではない。</p>
<p>以上をまとめると、芸術の構造というのは、</p>
<p>①作品の内部で繰り返す<br />
②作品の外部で繰り返す<br />
③羅列する</p>
<p>このいずれかに必ず分類される、ということである。</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>Karlaxとは？</title>
		<link>https://algomuze.com/music/214/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[Ryozo]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 15 Jan 2019 10:53:18 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[音楽]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://algomuze.com/?p=214</guid>

					<description><![CDATA[昨日の授業でMIDIコントローラー「Karlax（カルラックス）」のパフォーマンスをしていたので、その紹介をします。どこかに情報が載ってるならそれをそのまま紹介したいのですが、現時点では日本語の情報がほぼ見つからないので [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>昨日の授業で<strong>MIDIコントローラー「Karlax（カルラックス）」</strong>のパフォーマンスをしていたので、その紹介をします。どこかに情報が載ってるならそれをそのまま紹介したいのですが、<strong>現時点では日本語の情報がほぼ見つからない</strong>ので、とりあえず付け焼き刃の知識で先鞭をつけようと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><a href="https://algomuze.com/wp-content/uploads/2019/01/f7fd1114abcca2a0fb8bee0b24bf2b02.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-medium wp-image-215" src="https://algomuze.com/wp-content/uploads/2019/01/f7fd1114abcca2a0fb8bee0b24bf2b02-300x169.jpg" alt="" width="300" height="169" srcset="https://algomuze.com/wp-content/uploads/2019/01/f7fd1114abcca2a0fb8bee0b24bf2b02-300x169.jpg 300w, https://algomuze.com/wp-content/uploads/2019/01/f7fd1114abcca2a0fb8bee0b24bf2b02-768x432.jpg 768w, https://algomuze.com/wp-content/uploads/2019/01/f7fd1114abcca2a0fb8bee0b24bf2b02-120x68.jpg 120w, https://algomuze.com/wp-content/uploads/2019/01/f7fd1114abcca2a0fb8bee0b24bf2b02-160x90.jpg 160w, https://algomuze.com/wp-content/uploads/2019/01/f7fd1114abcca2a0fb8bee0b24bf2b02-320x180.jpg 320w, https://algomuze.com/wp-content/uploads/2019/01/f7fd1114abcca2a0fb8bee0b24bf2b02.jpg 960w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>KarlaxはフランスのDa Fact社が２０１０年に開発したMIDIコントロールデバイスです。見た目は<a href="http://www.dafact.com/">こんな感じ</a>（製作会社のHPです）。なんと日本語の案内がありますね。簡単に言えばキーやピストンを備えてるだけじゃなくモーションセンサーを搭載しているので、デバイスの傾きや加速度をMIDI情報として送信できるのが特徴です。</p>
<p>チュートリアルビデオはこちら。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><iframe loading="lazy" src="https://www.youtube.com/embed/QgKojCzAcck" width="560" height="315" frameborder="0" allowfullscreen="allowfullscreen"></iframe></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>次は実際にソフトシンセサイザーと組み合わせて使った例です。（3:20まで飛ばしてください）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><iframe loading="lazy" src="https://www.youtube.com/embed/x7ewJjgXzqc" width="560" height="315" frameborder="0" allowfullscreen="allowfullscreen"></iframe></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このビデオで紹介しているような使い方なら従来のキーボード型のMIDIコントローラーとほとんど違いはないですが、実際はソフトシンセに割り当てるより、プログラムやエフェクトプラグインと組み合わせて使うのが一番機能を発揮できるでしょう。</p>
<p>作曲作品例がこちらです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><iframe loading="lazy" src="https://www.youtube.com/embed/87n8pBA3bM8" width="560" height="315" frameborder="0" allowfullscreen="allowfullscreen"></iframe></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>演奏の見た目がユニークで面白いですね。</p>
<p>個人的な意見としては、<strong>「外見と音（反応）との関係性」</strong>が重要だと思います。<br />
上の作品例ではキースイッチやモーションを音そのものに割り当ててるのが多いので、見た目と音との関連性がわかりやすいですが、それだと先にも述べたように既存のMIDIコントローラーとの違いがなくて面白みには欠けるのです。Karlaxを活かすには<strong>複雑なエフェクトを同時にかつダイナミックに</strong>表現する必要がありますが、そうなると今度は動きと音との関連性が薄くなっていくのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><iframe loading="lazy" src="https://www.youtube.com/embed/eoULdZLmDSY" width="560" height="315" frameborder="0" allowfullscreen="allowfullscreen"></iframe></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>これはまだそこまで複雑な割り当てはしてない（はず）ですが、それでも見た目と音との関係がよくわからない瞬間が結構ありますよね。</p>
<p>なので解決策としては<strong>キースイッチのオンオフやモーションセンサーのパラメーターと、それぞれをどういうエフェクトに割り当ててるのかを大きなスクリーンに表示させる</strong>のが一番良いと思います。それ自体は簡単に実現できるはずです。で、そうなると今度はその情報が表示されているという前提で、どのように面白いプログラミング、パフォーマンスが出来るかを考える必要がありますね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>それとは別次元ですが、やはりモーションセンサーというのが運動的なものなので、公式プロモーションビデオで舞踏的なパフォーマンスをしているのは非常に頷けます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><iframe loading="lazy" src="https://www.youtube.com/embed/O9rDL8D33ZY" width="560" height="315" frameborder="0" allowfullscreen="allowfullscreen"></iframe></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>色々と言ってきましたが、デバイスとしては非常に面白いと僕は思っています。舞踏の分野でもこういうのを面白がる人は沢山いるでしょうし、類似するデバイスは今後必ず登場するでしょう。まだまだ作られて日が浅いので、これから面白いパフォーマンスが生まれるのを期待したいですね。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>本音を言えば</strong>、期待したいだけじゃなくて自分がやってみたいんですよ。単純に面白そうだし、ちょっといじってみたいなーと思って、ある程度の値段で買えるならちょっと奮発しちゃおうかなーと思って価格を調べました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>The &#8220;Karlax Visionary&#8221; pack: 4 700€ all taxes including</strong>　（約６０万円）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong><span class="fz-22px">高っけーわ無理。</span></strong></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
	</channel>
</rss>
